子供のころ実家には夏みかんの木があった。食べ終わった夏みかんの種を適当に庭に吐き出したらその中で何本か芽が出て、大して世話もしないのにすくすくと伸びてきたのだ。

この夏みかんの木、いまにしておもえばさまざまな経験をさせてくれた。

なぜなら、ここにはアゲハが卵を産みつけ、幼虫が育つさまを観察できるのだ。木の方はさして大きくもならずに、毎年葉っぱをつけるのだが、ここに毎年繰り返しアゲハの幼虫が住み着く。その食欲たるや成長につれて過激さを増して行き、毎年夏が終わるころには木が丸裸に近い状態になるのだ。

今にして思えばこれで枯れてしまわなかったのが不思議なくらいだが、子供のころはこれが普通であるかのように受け止めていた。ただ一人祖母は、こどもの昆虫への興味などには関心がなく、こちらの知らぬ間に「また害虫がついてる」と、アゲハの幼虫をひねりつぶしたりしたこともあったらしい。その祖母も15年ほど前に故人となった。

生態系というのは不思議なもので自分で自分を律する部分がある。アゲハの幼虫がもう葉っぱを食べつくしてしまうか、と思うころには幼虫が忽然と消えてしまうのである。これにはちゃんとした理由が二つあるのだが、それはまたあとで。

自然というやつは実に厳しい試練を彼らに与えていて、それはうちの祖母だったりしたのだけど、なんといっても一番の天敵はカラスだった。もうすぐ脱皮してさなぎになるぞ、とこちらが期待しているといつの間にかカラス、あるいはその手の鳥たちにかっさらわれてしまい、残念な思いをしたことがたびたびあった。

そんな思いをせずにちゃんとちょうになる姿を見る方法はないものかと、こちらも考えた挙句、これならという方法を思いついた。箱庭作戦である。ようするに、枝ごと切り取って、室内で飼う、という方法だった。アゲハの幼虫は、ミカンの他、サンショウの木にもついたりするが、サンショウの木だとうまくいかない。切り取って1~2日でかれてしまうのだ。その点おなじ柑橘系でもミカンの葉は長持ちで、1週間から10日は幼虫がえさにできる程度の鮮度を保っている。

この枝を適当な長さに切って、お歳暮などの空箱に入れておくだけである。なんでこんな簡単なことを早く思いつかなかったのか、われながらうかつだった。別に上にフタもせずにほうっておいたが、幼虫たちは別に逃げ出す様子もなく、枝の上だけをはい回って元気に育っていた。

しかし、甘かった。

ある日、箱を見ると幼虫がいないのである。そして、箱の中には妙なものが。妙にどろどろとした緑色の物体。幼虫の体よりはいくぶん小さい。どうやら幼虫が出したフンのようにも見えた。ふだんは乾いた、ころころのフンを出すのだが、幼虫が姿を消す時に限って、かならずこのどろどろのフンが後に残されたものだった。この時の幼虫は不幸にもソファのしたでペチャンコになって回収された。以後はアゲハの箱には穴を開けたサランラップをかけることにした。

で、アゲハの幼虫の逃げ方を見て、以前から不思議に思っていた点が解消された。

普段は動きがかなり鈍く、とても枝を降りるとも思えない彼らがなぜ、急に逃げ出したのか。その謎を解くヒントはゆるくなったフンにあった。

枝を取り込んで室内で飼う前にも、幼虫が急に消えてしまうことは時々あった。そんなときはカラスにでも食べられてしまったのだろうと思っていたのだが、同じころに、みかんの葉の上には、やはりゆるくなったフンのようなものが見つかっていたのだ。初めのころは、これがカラスに食べられた後の幼虫の残骸では、ぐらいに思っていたのだが、これはとんだ勘違いだった。これは、アゲハの幼虫の「羽化宣言」だったのだ。と思う。

以下は素人考えの推測に過ぎないが、そう的外れな解釈でもないと思うので、間違っていると思った研究者の方はご指摘ください。

幼虫の気持ちになってみると、この「ゆるフン」が出ることで、葉っぱを食べるだけの段階は終わり、さなぎになる場所を探せ、という本能からの指令が出る。もしかしたら猛烈におなかが痛いのかもしれない。それでたまらなくなって、極端な場合は枝を降りてまで、さなぎになるために安定のいい場所、というのが見つかるまで、彼らは放浪の旅にでるのだ。と思う。

あとは単純な話、さなぎになって羽化するだけだ。

この関連性に気づいてからは、幼虫を無駄死にさせることもなく、無事に室内で羽化させてから野生にかえす、という習慣がついた。学校や仕事で忙しくなって面倒が見られなくなるまでは、この習慣を続けたと思う。箱庭育成で食べたえさはちょっと鮮度が落ちていて、栄養状態はよくなかったかもしれないが、それでも彼らの子孫は今でも生き延びているのではないかと、時々ロマンチックな幻想を抱いている。