心理学や意識学などを実践されている方であれば、外界を通して、自分の意識が見えるということはお気づきだと思います。


これをフロイトは、「心的現実」という言葉で表現しました。


つまり、「客観的現実」ではないということです。


NLPでは、「実際の領土(体験)と地図(解釈)は異なる」と表現しています。



故に、



 「自分の意識が外界に投影される」



という表現を利用することも可能です。


このような表現は、自分の意識の状態を把握するのに分かりやすく、掴みやすいのです。



外界に対する印象を利用したセラピーは、形を変えワークショップ等にも広く活用されています。


オーラソーマのように色の印象を利用するもの。


寓話セラピーなど物語を利用するものや、形や絵など様々です。



外界の印象こそ、そのときの自分の心中を表しています。



それ故、それぞれのテクニックが有効になります。




ワークショップのみならず、宗教的儀礼では天啓に用いられ、面白いところでは、インディアンのシャーマン達が、森の中で自らの啓示を知ることに利用しました。


使い方によっては、現在の意識状態のみならず、深い意識に存在するメッセージを知る手がかりとして活用できます。



 「疑問(問題)が出たとき既に答えを知っている」



と言います。


外界にその答えを見つけることが上手な人は、欲しいモノを素早く手に入れられるでしょう。


「問題」と「答え」を結びつけるものは「行動」です。


 刺激 → 反応 → 結果


と同じです。


反応が違えば、自ずと結果は異なります。


逆に反応が同じであれば、結果も同じです。


 1+2 → 3


は、同じ反応を多くの人が行うから、結果が同じな訳です。


しかし、感覚というセンサーからの印象は、人それぞれで同じではないようです。




五感から入ってくる情報を自らの脳が編集し、人それぞれのカラフルな世界を作り上げます。



 「似て非なるもの」



が、目の前の現実(心的現実)というものです。



感情を誘発するニュースや映画、ドラマは、この「似て非なるもの」を私たちに教えてくれます。



 「人は観たい様に見て、聴きたいように聞いている」


 「そして、感じる」



映像情報は、視覚と聴覚の二感ですが、ブログや新聞(写真は別)などは一感です。


情報量は、一感より二感の方が多く、誤解も少なくなりますが、そこに書き手の意図が巧みに盛り込まれているとすれば、誤解も大きくなります。


同じようなものを五感でフルに感じていても、人それぞれ印象が異なる上に、他の意図が介在すれば、本当の現実を知ることは出来ないでしょう。
(故に、本当の現実は、知る由もなく、自分が作り出した世界であるという「空」の思想に繋がります。)


確か、養老先生が書かれた「バカの壁」に、「NHKが、公平、中立な報道」と謳っていることもバカの壁の一つとして取り上げていた記憶があります。


そもそも、そんなことを出来るはずがないという訳です。


ただ、新聞社や報道機関が、「嘘も入っています」とは言えないでしょう。




私達の周りには、そういった



 「人による意図」



が着色されていることを前提としなければなりません。


特に、重要なことを判断する時には、感情に流されているようでは自分が欲しいものを手に入れることは難しくなります。



まして、



 「人の意図+自分の解釈」



となると、相手の癖や長い間、共に切磋琢磨し、「ツーカーの仲」でなければ、人の意図を容易に汲み取ることはできないでしょう。
(読心術、相を見るテクニックや心理分析を身に着ければ別ですが)


現実を「データ」というグラフや数字で表わす目的は、効率だけではなく、無用な意図を排除するという目的があります。


企業の経営者が「数字」など人の意図が介在しにくい客観的なデータという形で、現実を見ようとするのは、当然の成り行きです。


政治の世界では、それを悪用し、有識者が作成したという幻想を散りばめながら意図的なデータを作り上げ、作為的に事実無根の根拠を作り出す政治家や官僚が後を絶ちません。



ところが、人ぞれぞれであるはずの印象という癖が、1+2 → 3のように同じ感覚を生む場合があります。



 同時に強烈な危機意識を感じたとき


 団結して同じ目標をクリアしたとき


 スポーツ観戦など劇的な結果を共有したとき


 音楽の演奏者が一体となったとき



魂の中に刻まれている共通の感覚で体験したときは、自我の入る余地はありません。


情動ではなく、感覚で捉えている印象は、受けての不要な錯覚を排除します。


これは、人が本来持つ(後天的ではなく先天的)優位感覚が進化の過程で構築された順序と関係があるのかも知れません。




先日書いたNLPなどコミュニケーションを中心とした心理療法がビジネスの現場で利用されているのは、アメリカという多民族国家であるがゆえに、発展したように感じます。


クリントンをはじめ、その後の歴代の大統領やビジネスリーダー達が、共通した文化を利用しながらも、人固有の印象学を利用し、聴衆のモチベーションをアップするという演説は、観る者を魅了します。


オバマ大統領の就任演説を聴いたとき、困難に立ち向かう過去の成功事例などを活用し、脳裏に浮かびやすいものを散りばめていたのが印象的でした。




私達は、観たい様に見て、聴きたいように聞いているのですが、深い意識の底には求めてやまないものがあるようです。


それを見つけ出すには、過去の感情的記憶のバイアスを取り除く必要があります。