セラピーでは、自分自身に信じ込みがあり、そのビリーフ(信念)がある以上、自己分析を行ってもカウンセリングにならないという論者がいます。


なるほど、説得力のある話です。


ある程度、博識があり、地位ある論者がこのような話をするとセルフセラピーなどありえないという風に思うでしょう。



鵜呑みにすれば、それでThe end!です。


様々な覚者は、辻説法の末、大悟している訳ではありません。



エイモス・トラベルスキーは、次の様な問題を提起しました。


「バットとボールは、合計で110円。バットはボールより、100円高い。ボールは幾ら?」


多くの人は、10円と答えるでしょうが、正解は、


バットが105円。

ボールが5円。


紙面で方程式を用いると


X+Y=110

X-100=Y


これを解けば、簡単に正解を導き出せますが、私達は見えない信じ込みにより10円と答えてしまいます。


これが、人が騙される所以です。



尤もらしい、理論も紙に書いて、精査したとき「??」という疑問が出てきますが、自分自身は客観的に見ているつもりでも、錯覚の中では正しい判断は望めません。


宗教の多くは、このような人間特有の錯覚を駆使していることが多く、いくら高学歴であろうとも錯覚の中では無力です。。


客観的な視点、つまり、紙で書く、多くの意見を聞く、または、様々な知識を多様な角度で取り入れることで、錯覚を排除する必要があります。



「清濁併せ呑む。」



これも客観的な視点で、全てを見渡す力を私達に教えてくれます。



私達は、常に錯覚に捉われる生き物であり、それを排除することが重要であると知れば、自ずと正しい道を模索できます。



私という掛け替えの無いこの瞬間を生きる魂を大切にするには、意識の怠慢を捨て、客観的な視点を構築する必要があります。


人の意見もそれは、その人の信念によって構築されています。


自分を信じ、可能性を信じることで、例え尤もらしい話でも他人の信念を打ち破ることは可能です。