過去に引きづられると、「いまここ!」を味わうことはできません。


これが執着の正体です。



執着を取り除くには、自分自身の意識の反応に気付き、感情を伴う意識を消し去る必要があります。


雑念は過去の記憶です。


雑念を見れば、自分の執着が見えます。


過去に消化できなかった記憶が感情を伴い、私達の思考を汚染します。




その為、今をありのままを観る事は難しくなります。


過去の感情や記憶が、目の前の物事を歪め、錯覚を助長します。




「何だか、苦手な人だな・・・。」


「やってもどうせだめだろう、結果は見えているし・・・」


「夢はどうせ夢でしかない・・・」





自我の判断は、全て過去からやってきます。


過去の記憶がよみがえったとき、私達は、過去へと意識をシフトします。


その為、「いまここ」を味わうことは出来ません。




目の前の出来事と過去の記憶が繋がったとき、私達は、過去に戻りそのときの感情を味わうのです。(ですから目の前の問題は過去の記憶を清算する絶好のチャンスです)



何年も前の消化不良の記憶を何度でも味わい、自分の運命を作り上げて行きます。


それも無意識に。





輪廻とは、記憶の汎化(一般化)であり、錯覚と歪曲によって作り上げられていきます。


記憶の汎化が出来事を均一に歪める相似形の正体です。


人は、同じような体験(形、場所、人、時期が異なるだけ)つまり感情と感覚を繰り返します。


そして、輪廻が作り上げられて行きます。




人は、見たいように現実を観る!


脳の回路を変えない限り、このパターンは永遠と続きます。


誰一人、同じ脳の回路を持った人はいません。


そして、その回路は自分で作り上げたものです。


最終的には、自分でしか回路を修正することはできません。




五感から入った情報を好きなように解釈し判断します。


十人十色とは、私達が常に錯覚(思考のフィルター)で現実を捉えているという証明でもあります。


錯覚、即ち「空」であり、錯覚により情動(喜怒哀楽)が生まれ「生」を実感します。


故に、この世界は自分しか居ないとも言えます。




しかし、他人が存在しないという話にはなりえません。


「この世は自分しか居ない」と言うのは一つのものの見方であり表現です。


自分とそれ以外という二元の世界がこの世界です。


自分次第で現実を変えられます。


理由は、現実と思っているモノは錯覚だからです。



  刺激 → 反応 → 結果



反応(錯覚の処理)を変えれば、結果は異なります。


病気も同様です。


私の花粉症は、反応を変えることで、結果を過去と異なるものに変えました。




先日、TVで震災で避難している子供が食物アレルギーで食べ物を口にしないで触れただけでもアレルギー反応を起こすので母親が困っている場面が放映されていました。


この子供はアレルギー食品に条件付けされているのです。


パフログの犬と同様、見ただけで体が反応しアレルギーを引き起こします。



このアレルギー反応を起こす条件付けを変えることができれば、アレルギーは改善することでしょう。




無意識の無用となった条件付けというフィルターを一つ一つ変えていきます。


無意識に存在するエネルギー化した意識を表層意識の智慧によって、修正変更して行きます。


インターベンションとは、そういう方法です。