バグワン・シュリ・ラジニーシ「存在の詩」より

あなたが闇について瞑想するならば明らかになる第一のことは
闇というものは存在しないということだ
闇はどんな存在も持たずにそこにある
それは光よりももっと神秘的だ
それはまったく実在を持たない
むしろ反対に
それはただ光の不在であるにすぎない
闇などというものはどこにもない
それを見つけ出してくることはできない
それはただの不在なのだ
それはそれ自体実在を持っていないのだ
それはただ光が臨在していないということにすぎない
もしそこに光があれば
そこに闇はない
もしそこに光がなければ
そこには闇がある

光の不在
それは何かあるものの臨在とは違う
光が点滅するのはそのためだ
闇は踏みとどまる
それはない
が、それは居すわる

(中略)

知っておいたほうがいい
あなたはいままでに
たくさんのありもしないものと戦い続けてきているのだ
それらはちょうど闇みたいなものだ
道徳なんぞというものは、まるで闇との戦いだ
それが馬鹿らしいのはそのせいだ
道徳なるものは丸ごとそっくり
無条件に闇との戦い
それ自体そこにありもしないものとの戦いなのだ

憎しみというのは実体のあるものじゃない
それはただ愛の不在であるにすぎない
怒りというのは実体のあるものじゃない
それはただ慈悲の不在であるにすぎない
無知というのは実体のあるものじゃない
それはただブッダフッド、つまり悟りの不在であるにすぎない
セックスというのは実体のあるものじゃない
それはただブラーフマチャリヤ(※)の不在であるにすぎない



1ヶ月前に、絶版になっているバグワンの「存在の詩」を図書館で借りました。


意識の描写は、分かり易い例えで表現され、無理なく、意識の中に入り込むような語り口調で、記述されています。



翻訳された方も素晴らしいのでしょう。



バグワン自身が多くの哲学や心理学を熟知しているせいか、所謂インドの聖者達が語るものより親しみ易く、理解し易く感じました。



意識とは、「光」のようなものだと表現していました。



「闇」と言うものは、そもそも存在しない。


なぜなら、「光」のように点けたり消したりできないから。




そして、「光」は「意識」と同じようなものである・・・。


「意識」が存在していることこそ、悟りであり、愛であるとも。




これは、別のくだりで、こんな表現がありました。



   意識して「怒る」ことはできない。



つまり、「怒る」ときは、自分の意識が不在の状態であり、「闇」であるということです。



私達が何気なく、日常的に行っていることに対して鋭い洞察で説明をします。




余りに、内容が魅力的で、つい引き込まれそうになります。



私が、バグワンの本を手にしたのは、意識についてのヒントが欲しかったためです。



意識の実態をもっと理解したかったのです。




なんだか、カッコよく言っていますが、目的は、「意識の統合」をよりスムーズに行う方法を見つけたかったからです。



そのため、この2ヶ月間位の間、暇を見つけては、調べたり、考えながら纏めていました。


不思議なことに、目的が明確になれば、必ずヒントを与えてくれるモノに出くわします。


まだ、十分煮詰まっていませんから、お話する段階ではありませんが、私が考えているようなこを既に実践されている方も居るようです。



子供でも、大人でも、当たり前のように分かる「心の法則」を手に入れます。



通常の生活の中で、人の能力はそんなに大きな違いはありません。


その能力を活かすも殺すも、意識次第であると考えます。



超能力的なものより、実践的で生活に役立つものを目指します。



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