今日は、ほぼ一か月ぶりに、日曜礼拝に行きました。
日曜日を決まって休める仕事でもないのですが、今日は、無理して職場にシフトの都合を付けて貰いました。
理由は、教会総会だったから。
教会も、宗教法人格なので、毎年、決算と予算の審議があります。
不透明なお金の使い方をしていると、行政から宗教法人格を取り消される可能性もあるらしいです。
で、そのお金の使い道に関しての会議が、教会総会で、一定数の出席者が居ないと、開始できません。
出ない訳にはいかなかった形です。それでです。
決算も予算も、つつがなく承認されて、その後、食事会となりました。
その席で、牧師先生に、教会墓地に関して尋ねてみました。
岡山県倉敷市の方に、納骨堂があるとの事で、生前の希望があれば、入れる、と。
また、後日、手続きをするとは思いますが、お墓の問題って、結構深刻です。
仏教の場合は、長男しか、その先祖墓に入る事ができないとされます。
私の場合は、3男なので、分家筋という事になるので、お墓を自前で作らないといけません。
通例、県営の共同墓地の敷地を借りて、さらに墓石を買って、その上で自分の子孫に墓地使用料を払い続けて貰う事になります。
はっきり言って、自分の経済力では、困難極まりない話です。
日々の生活費を賄う事も大変なのに、その上で結婚をして子供を作り、さらに墓地まで、とても難しい。
このまま行くと、自分、死んでも墓がありません。仏教に言う、無縁仏の扱いになります。
それは、仏式の墓を作るなら、の話です。
どこの教会でも、年に一回、昇天者記念礼拝が持たれます。時期は色々のようですが。
さらに、通例、命日にお参りをするようです。まぁ、遺族の信仰心にも依るのでしょうが。
一番大きいのは、墓地を継ぐ後継者が居なくなって、墓を取り壊すということが無いという事。
ただ、そこの教会自体の信徒が居なくなって、解散消滅したら、別ですがね。
おい、34歳の身空で、今から墓地の話言うて、死ぬ予定でもあるんかい? とお思いの御方。
私の場合、交通事故で死ぬ可能性があります。命が助かればエエなあ言う話で。
それに、神様が、もし、子孫を恵んで下さったとして、その子孫に経済的負担を与え続けるのも心苦しい。
墓地の管理費用は、教会が出しますから、遺族には、年に一度か、二度、教会に来てもらうだけでいい。
まぁ、仮に子孫が与えられたとするならば、その子孫も、おそらくは障害の因子を持っているでしょう。
私としては、キリストに依り頼んで生きよ、そうすれば、長く生きて、増える、そう教えたいですね。
元々、私の信仰心は、精神障害の発病に起因しています。
キリストが癒して下さるという、お願いです、助けて下さい、あなたしか居ない、と。
実際、発症してから、予後16年ぐらい経ってますが、ご覧の通り、世間を歩いています。
どうか、主が、生涯の伴侶と、子孫を恵んで下さいますように。そう願う日々です。
貧乏でも、家庭を築いている人達は、居ます。
ただ、出会いの縁に関しては、こればっかりは神の采配に依りますから、何とも言えません。
ただ、或る既婚者の男性は言いました。
「日々の生活を守り、慎ましく暮らしてこそ、婚姻の縁もあろうと言うもの。」
目標に近付きたければ、祈れ、働け、言う話です。