なんか、自分の周りに、鳥が飛んでいる。

 

大きい鳥ではない。体長1メートルぐらい。

 

幻視とはっきり分かるのは、姿が異質だから。

 

全体が炎に包まれている。

 

所謂、不死鳥、フェニックスという奴かもしれない。

 

伝説では、死と再生を繰り返すとされている。

 

 

今日になって、婆さんが加入している、葬儀屋から葉書が来ていた。

 

どうも、契約を継続するのか、積立を保留した状態で続けるのか、選べと。

 

よく判らないので、明日にでも、父親に問い合わせる。

 

婆さんの財産は、弁護士が管理している筈だから、よく判らない。

 

 

認知症になって、施設に入所したものの、骨折して病院に居るという婆さん。

 

そろそろ、お迎えでも来るんかなぁ、とは思うが、不謹慎なのと、それを察するのが幻視理由というのがあって、両親には言わない。

 

 

婆さんの姉が亡くなった時には、ワイバーンの霊となって来てくれた。

 

婆さん本人は、フェニックスの霊になるのかもしれない。大空を飛び回れて、少し羨ましい。

 

私は、死んだら、何の霊になるのだろう?

 

 

成れるのであれば、龍になりたいかな。

 

そして、天を越え、天の天を越えて、父なる神に会いに行くのだ。

 

そこに、お姉ちゃんの魂が或るだろう。

 

 

まぁ、キリストの教えでは、人は死んで、復活する時には、生前と同じ人格を以て復活するとされる。

 

しかし、肉体が異なると。霊の体を貰い、新しい世界に生きるとされる。

 

ここで、問題になるのは、精神障害や発達障害などの病気の人は、その人格のまんま復活するという事。

 

だから、私が妄想に取り憑かれたりするのは、たとえ、生まれ変わっても一緒だ。

 

でも、もし、龍の体を貰って、大空を自由に飛び回れるなら、それはそれで爽快な気もする。

 

 

私が亡くなって、遠い未来の話。

 

ある日、雨雲が沸き立ち、嵐が吹いて、雷が落ちたと。

 

すると、知ってる人は言う訳だ。

 

「ああ、今日は、藤原の霊が来てるな。」

 

 

死んだ人は、皆の記憶から失われていく。

 

でも、この文章を読んだ人が、ふっと自分を思い出して、言ってくれると嬉しい。

 

 

「藤原は、龍になったらしい。時々、地上に降りてきて、お供え物を食べにくる。」

 

「そいつの祭壇に供えたパンとブドウを盗んでも、窃盗罪にはするなとの遺言だ。」

 

「むしろ、自分の祭壇に、常に食べ物があって、いつでも飢えた人が助かるようにしろと。」

 

「祭壇の供え物が無くなっている時は、龍になった藤原が、腹空かして食べたのさ。」

 

 

世の中の、全ての飢餓に苦しむ人達が、食べて満ち足り、以て主を賛美しますように。

 

貴い主、イエス・キリストの御名によって。アーメン。