旅4日目 憧れの二風谷
朝九時前の列車で白老駅から苫小牧、日高本線に乗り換え富川駅で下車。
道南バスに乗り換えて二風谷に至る。
ここはアイヌの方が多く住む地域。
近くにアイヌの聖地だった場所を湖底に沈めた二風谷ダムが、
また充実した展示物のアイヌ文化博物館もある。
以前からアイヌの文化に興味があった僕がいつか訪れたいと願っていた場所だ。
まず宿をとっていた民宿チセに。
優しい笑顔のお母さんが「おかえり」と迎えてくれた。
荷物を置いて、出発。
まず、宿の目の前にある二風谷ダムを見学して、湖底に沈む聖地を想う。
その後博物館へ。
かなり厳密に選び抜かれたアイヌの道具、衣服、などが一つのホールにとてもうまく配置されていて、また囲炉裏を囲んで名人が歌うように話してきかせたというアイヌ民謡ユーカリの音資料がきけたり、クマ猟の為の仕掛け弓が模型で実践できたり、
たった一つの展示ホールだが、とてもじっくり楽しめた。
写真は五弦楽器トンコリと木彫りのイタ
それから、博物館となりの工芸館に。
精密なアイヌの刺繍や木彫り工芸品が買える。
スタッフの方(この方も伝統工芸の職人さんでした)に話をきくと、長年の申請努力が実ってやっと今年、繊細な彫刻を施した木工品が二風谷イタ、樹の皮を使った伝統的な織物が二風谷アットゥシ、として経済産業大臣指定伝統的工芸品に認定されたそうです。
北海道で初の認定だとか。これから世間一般に浸透するよう頑張りたいと晴れ晴れとした顔で話されていたのが印象的でした。
早速僕も二風谷イタのコースターと、二風谷アットゥシの名刺入れを買いました。
僕の名前がアツシだから、アットゥシ織の名刺入れにしましたー、ってスタッフの方に話したら、最後帰るとき「じゃあまたね、アッちゃん」
ここのスタッフさんといい、宿のお母さんといい、なんだかふるさとに帰ってきたような気持ちにさせてくれる。
優しさにもいろいろあるけど、ここにある優しさは悠久の大地の恵みのような、
かつてとりきれないほどの鮭が遡上していて、また狩の技術もたかく、豊かな山菜や木の実への知識もあり、食物を保存する術も持ち、
物資的に豊かな村社会を形成することにより、争いも少なく
ただ、その豊かな恵みを、享受しすぎることなく、常に周りの有機物、無機物、全てを霊的な神カムイとして崇め敬い畏れ、
様々な神話、伝説、それに関連した祭事、そこから派生した工芸美術、工芸技術、歌、踊り、豊かな精神世界、
そんなアイヌ古来の生き様の名残りがここにあるような気がしました。
民宿のお母さんに晩ご飯の世話をしてもらってるときに、「何かアイヌの古い歌知ってますか?童謡とか。」と聞いたら、少し困った顔になり、こうおっしゃいました。
「童謡なんて、今のみんなが学校で習うようなものしか知らんよ。私が子どもの頃はアイヌ語もまともに教われなかったから。」
自分の不勉強でお母さんを悲しい顔にさせてしまったこと悔やんだ。
民宿のお父さんは代々博物館にも展示されるような腕利きの祖先をもつ木彫職人で、お母さんの刺繍したアイヌ衣装のレプリカも博物館に展示されているらしい。
でも、いまではもうその技術を活かした仕事はしていない。
「そういう時代なんだよ」と話した。
しかし若い世代の尽力で二風谷イタ、二風谷アットゥシが改めて日本中から注目されるチャンスが来ている。
お母さんも若い世代に期待していると言ってた。
僕も微力ながら、おかえり、と迎えてくれる二風谷のみなさんの素晴らしさを少しでも伝えられたらと思っている。
そしてまた帰りたい。おかえりの笑顔が待っている二風谷に。
朝九時前の列車で白老駅から苫小牧、日高本線に乗り換え富川駅で下車。
道南バスに乗り換えて二風谷に至る。
ここはアイヌの方が多く住む地域。
近くにアイヌの聖地だった場所を湖底に沈めた二風谷ダムが、
また充実した展示物のアイヌ文化博物館もある。
以前からアイヌの文化に興味があった僕がいつか訪れたいと願っていた場所だ。
まず宿をとっていた民宿チセに。
優しい笑顔のお母さんが「おかえり」と迎えてくれた。
荷物を置いて、出発。
まず、宿の目の前にある二風谷ダムを見学して、湖底に沈む聖地を想う。
その後博物館へ。
かなり厳密に選び抜かれたアイヌの道具、衣服、などが一つのホールにとてもうまく配置されていて、また囲炉裏を囲んで名人が歌うように話してきかせたというアイヌ民謡ユーカリの音資料がきけたり、クマ猟の為の仕掛け弓が模型で実践できたり、
たった一つの展示ホールだが、とてもじっくり楽しめた。
写真は五弦楽器トンコリと木彫りのイタ
それから、博物館となりの工芸館に。
精密なアイヌの刺繍や木彫り工芸品が買える。
スタッフの方(この方も伝統工芸の職人さんでした)に話をきくと、長年の申請努力が実ってやっと今年、繊細な彫刻を施した木工品が二風谷イタ、樹の皮を使った伝統的な織物が二風谷アットゥシ、として経済産業大臣指定伝統的工芸品に認定されたそうです。
北海道で初の認定だとか。これから世間一般に浸透するよう頑張りたいと晴れ晴れとした顔で話されていたのが印象的でした。
早速僕も二風谷イタのコースターと、二風谷アットゥシの名刺入れを買いました。
僕の名前がアツシだから、アットゥシ織の名刺入れにしましたー、ってスタッフの方に話したら、最後帰るとき「じゃあまたね、アッちゃん」
ここのスタッフさんといい、宿のお母さんといい、なんだかふるさとに帰ってきたような気持ちにさせてくれる。
優しさにもいろいろあるけど、ここにある優しさは悠久の大地の恵みのような、
かつてとりきれないほどの鮭が遡上していて、また狩の技術もたかく、豊かな山菜や木の実への知識もあり、食物を保存する術も持ち、
物資的に豊かな村社会を形成することにより、争いも少なく
ただ、その豊かな恵みを、享受しすぎることなく、常に周りの有機物、無機物、全てを霊的な神カムイとして崇め敬い畏れ、
様々な神話、伝説、それに関連した祭事、そこから派生した工芸美術、工芸技術、歌、踊り、豊かな精神世界、
そんなアイヌ古来の生き様の名残りがここにあるような気がしました。
民宿のお母さんに晩ご飯の世話をしてもらってるときに、「何かアイヌの古い歌知ってますか?童謡とか。」と聞いたら、少し困った顔になり、こうおっしゃいました。
「童謡なんて、今のみんなが学校で習うようなものしか知らんよ。私が子どもの頃はアイヌ語もまともに教われなかったから。」
自分の不勉強でお母さんを悲しい顔にさせてしまったこと悔やんだ。
民宿のお父さんは代々博物館にも展示されるような腕利きの祖先をもつ木彫職人で、お母さんの刺繍したアイヌ衣装のレプリカも博物館に展示されているらしい。
でも、いまではもうその技術を活かした仕事はしていない。
「そういう時代なんだよ」と話した。
しかし若い世代の尽力で二風谷イタ、二風谷アットゥシが改めて日本中から注目されるチャンスが来ている。
お母さんも若い世代に期待していると言ってた。
僕も微力ながら、おかえり、と迎えてくれる二風谷のみなさんの素晴らしさを少しでも伝えられたらと思っている。
そしてまた帰りたい。おかえりの笑顔が待っている二風谷に。