才能を生まれ持った能力のように捉えている人が多いように感じますが、本当にそうなのでしょうか?

生まれた瞬間に「この人はこのレベルまでしか行けない」と、人生の振り幅が決まっているのでしょうか?

才能を授かれなかったから「自分には◯◯はできない」とあきらめるしかない不公平な展開が待っているのでしょうか?

だとしたら、めちゃくそつまらんですね、人生って。
ところが、めちゃくそオモロイんですよね、人生って。

多分、才能の捉え方をアップデートしないから、自分で自分をつまらなくしてしまうのだと思います。

才能とは皆に届けられる「ギフト」です。
皆に同じギフトが与えられるわけではないですが、1人に与えられるギフトは相当な数です。

「私にはそんなにたくさんの才能なんてないよ」
「誰からもギフトなんてもらったことないよ」
と言う人たちは、ギフトの存在に気が付いていないか、ギフトを開けていないだけです。

ギフトは「苦手」「嫌い」「コンプレックス」の形をしているので、受け取るのを躊躇してしまうのはよくわかります。
皆できれば避けて通りたいですから。

しかし、ギフトを開けないと(乗り越えないと)中身がわかりません(才能を認識できません)。

球技が苦手だと避けてばかりいたら、隠れていたボッチャの才能に気づくことはできません。

英語が嫌いだと、日本から飛び出す選択肢を排除していたら、人生を変える出会いが幻になってしまうかもしれません。

あなたの魅力を創り出すのは、才能ではなくギフトを「受け取る」「開ける」という行動です。

世の中には多才な人などいません。
あなたが才能にあふれていると思っている人は皆、たくさんのギフトを受け取って乗り越えている人です。
皆「多動」なだけのです。

あなたの周りには、あなたのために用意されたギフトがたくさんあります。
しっかり受け取って乗り越えていけば、その先には魅力を手に入れた自分が待っています。

人の魅力とは、苦手であったり、嫌いであったり、コンプレックスであったり、どれだけギフトを受け取ったかで彩られるようです。

大学講義7日目⑧限目より