いただいた資料の中に「宇ノ島祇園」で有名な

豊前市宇ノ島地区の現代地図と江戸時代幕末期の海岸線などを

書きこんだ地図があります。

そういえば、明治初期、小倉県から沓側村と赤熊村から

宇ノ島村独立の許可書が出ていたのを見たのを思い出しましたヾ(@°▽°@)ノ

 

マニアックな中津祇園関係者は宇ノ島の歴史は詳しいと思います(*^▽^*)

しかし、当時の海岸線、甚助町、代町など4町を合わせて

四町とよばれていた場所の特定、魚町、長者町、宝来町、千代町の

当時の位置関係がわかります(^O^)お旅所の恵比寿神社は海の中だった

のです。  豪商萬屋の屋敷面積の広さ(ノ゚ο゚)ノ

細川忠興が中津、小倉から間に開き通称、下往還、奥平公が

参勤交代に使用した道ですが、当時は昭和町からマルショクの横を

通り八屋村に入っていたことを始めて知りましたヽ(゚◇゚ )ノ