1899年(明治32年)正月に第五高等学校(現・熊本大学)の教授であった
夏目漱石は冬休みを利用して初詣をかねて友人と
宇佐神宮と本耶馬渓羅漢寺を参詣しています。

この旅行には多くの本、研究者で発表されています。
しかし旅行行程に対しては少し疑問なところがあると感じていました。
12月13日に友人と耶馬溪探訪「原節子中津耶馬溪疎開説真偽調査」に
馬鹿にされながら向かいました。その時に地元の古老から思いもかけずに
多くの話を聞くことができ、
地方史の欠けた部分、謎であった部分に一筋の光明がありました。

一月一日(日)熊本を出発・鳥栖、博多を経て小倉に宿泊。
一月二日(月)午後、豊州鉄道終点(現・JR柳ヶ浦駅、
当時は小倉~行橋~中津~柳ヶ浦間)で下車、馬車で宇佐神宮へ、
初詣の後、宇佐市四日市で宿泊。一月三日は(火)中津市本耶馬渓の羅漢寺を参詣し、
(推測ですが城井峠~日田往還~耶馬渓町戸原の行程と思います)

中津市耶馬渓町戸原・口の林「中屋旅館」で宿泊、(口の林「中屋旅館」のところが
現在まで研究がなされていませんでした。現在は空き地ですが山国川を渡る船着き場の
ちかくにあります。中津南高耶馬渓校の近くです。民有地ですので画像は掲載しません)

一月四日(水)は柿坂を通り中津市山国町守実で宿泊。
一月五日(木)伏木峠を馬で通り日田市で宿泊。
一月六日は筑後川を船で下り久留米を経て熊本に帰っています。
一月三日から一月五日の日田までは九州ではめずらしく雪と寒さに悩まされています。
しかし、当時の夏目漱石は親友正岡子規の影響で俳句に傾注しており多くの俳句を残してくれています。次回は柳ヶ浦から日田までを夏目漱石俳句集から紹介します。

画像は大正期の羅漢寺です。