昔、何かの本で耶馬溪鉄道の当初の計画は中津駅-宮永-万田-佐知-真坂-野路
と書いていたのをおぼえています。しかし裏付ける資料もなく、
そのままになっていました。

先日、ある骨董店で「耶馬溪鉄道株式会社創立事務所発行・
耶馬溪鉄道株式会社創立之趣旨などが記載された小冊子を発見

骨董屋のおやじさん曰く「金額では譲れない。価値あるモノと交換ならばOK」
わらしべ長者願望の骨董屋さん、しかたがないので
家にある鍋島焼の香炉と交換しました。

読んで驚くのが当初計画では中津駅-宮永-万田-佐知-真坂-野路の路線が
記載されています。現在の212号線と見てとれます。

趣旨書によると、材木1トンを柿坂から中津まで川流しは1円20銭
馬車の場合は2円、鉄道の場合は55銭になる。また、損傷もないなど
耶馬溪の近代化と経済の発展についてよく述べられています。

線路説明では1.中津駅2.三口駅3.真坂駅4.樋田駅5.青駅6.口ノ林駅
7.柿坂駅になっています。

株主予定者は中津をはじめ、路線の村長など時代の著名者にならび
大阪、神戸、博多の大商人、遠くは新潟県、長岡市の方もいらしゃいます。

宮永、万田、湯屋、高瀬の当時の住民が汽車のばい煙と火のこで
作物が枯れ、火事のおそれがあると大反対で、大貞を通る路線に
変更になったの話は本当だったのです。