・3ステージ 4月16日/17日 残り距離41.3km 残り18制限時間時間 睡眠時間2時間

 スタッフの人にたたき起こされ目が覚めた。CP4にほぼ人がいなくなっていた。辺りは真っ暗で1メートル先は何も見えない。ランナーはヘッドライトで辺りを照らし、30メートルおきに蓄光テープが巻きつけられた石を目印に進む。一人でこの暗闇を進むのは無理だろう。焦って準備しているとスタッフから、一人で進むのは危険だからランナーと一緒に歩け、とはやされた。スペイン人のホセ・マニュエルとイタリア人のセオドラと一緒に進む事になった。ホセは5秒に1回バモスと叫んでいる。ファックよりもポジティブでよかった。セオドラは度々「Are you ok?」と気にかけてくれる。さらには、ベルベル人スタッフとラクダ2匹もついてきてくれるらしい。ベルベル人はバズーカーのようなライトを持っていて辺り一面を明るく照らしてくれる。これなら何とかなるかも。

上の画像:3ステージの地図

下の画像:一緒に歩いたラクダ

 セオドラの兄弟は一時期日本に住んでいたらしい。日本を大好きと言ってくれた。なんだか嬉しい。ホセはラクダにバモスと叫びまくっている。5人と2匹でのそのそ歩いていると午前1時半過ぎにCP5に辿り着いた。また気絶するように眠りについた。

 またスタッフにたたき起こされた。時刻は午前3時半。今回は、韓国人のキムとイギリス人のオルガと一緒に歩くことになった。2人ともとても明るい若い女性で元気を貰った。しばらく進むと、オルガがちょっとトイレと言って、5メートル先でトイレをしている。もはや慣れた。気にしている暇などない。

 暗すぎてすぐに道に迷う。こんなグダグダで制限時間に間に合うだろうか。そんな時、スタッフが乗った車2台がヘッドライトで辺りを照らし、さらに鼓舞する為に爆音でQueenの「Don’t stop me now」をかけてくれた。彼らもこんな真夜中まで業務をこなし、疲れているのに必死にランナーを応援してくれる。とても励まされた。

 ここで一点、補足するとこのレースのスタッフはドクター含め全員ボランティアらしい。皆聖母マリアに見えてきた。

 3時間以上歩いただろうか、辺りが明るくなってきた。一気に暑くなる。気持ち悪い。意識が朦朧とする。でも絶対に歩みを止めてはならない。ただひたすらに歩いた。

 やっとの事でCP5まで辿り着いた。時刻は午前8時。倒れるように寝込んだ。30分でたたき起こされた。

 話は変わるが、サハラマラソンは荷物を背負って走る為軽量化が重要となる。そこで出国前に様々な工夫を施した。例えば、1食分ずつ梱包された食料は同じ食糧で一つのジップロックに詰め替えたり、歯ブラシも柄を切り取って先端のブラシのみに分解したりした。そして、洋服も少しでも軽くなるようにタグを全て切った。何を血迷ったのか、自分のボクサーパンツもカットしティーバックにした。これは後に後悔した。ここでさらに荷物を減らせないか考えてみた。間違いなくティーバックは必要ない。脱ぎ捨てた。

人生は熱狂

 もはや最後の10キロは景色に関する記憶がない。ただ沢山のスタッフが一緒に歩いてくれて応援され続けていた事しか覚えていない。しばらく歩くと、最後尾の集団に追いついた。僕の前を歩いていたのは腕のないフランス人のランナーだ。彼も完走を目指し、一生懸命に一歩一歩前進している。彼の必死な姿に励まされた。

 これまで僕は斜に構えて生きてきた。レース初日も、大の大人が大金を投じて砂漠を走る事がバカバカしく思えた。くだらない。これまで学校の文化祭、体育祭、部活動を斜目に見ていた。合理的でないからだ。体育祭も文化祭も部活も成績評価に影響しない。だから、意味はない。登下校の最中、校庭で顔を歪めながら必死に走り込んでいる部活生をバカらしく思っていた。しかし、そんな事を言ったら人生に意味なんてない。そう、誰かが自身の人生に意味なんて与えてくれないのだ。文化祭も体育祭も部活もサハラマラソンも人生も、自分で意味を見出さなければならない。合理的な人生は合理的なだけだ。楽しくも面白くもない。

    「人生の短さについて」セネカ著

 暇すぎる大学生活で沢山の本を読んだ。自己啓発本、経済学の専門本、純文学、現代小説など色々読んだが、正直どれも中身のない本ばかりだった。しかし、何冊かまともな本もあった。例えば、セネカ著「人生の短さについて」だ。

画像:セネカ

 彼は古代ローマの政治家であり、ストア派の哲学者だ。スペインの騎士階級の裕福な家に生まれ、後にローマで財務官となった。要するに実家は金持ちで自身は官僚だ。絵に描いたようエリート。順風満帆のように思えるが、彼は流刑になっている。流刑になったものの、哲学を探究しながら楽しく過ごしていたそうだ。しかし、流刑から解放され、後の皇帝であるネロの家庭教師を担当する事になり、また政権争いに巻き込まれていく。詳細はwikiで調べて頂きたい。そんな時に穀物管理責任者のパウリヌスに送った手紙がこの著書の原型となっている。僕が心に留めたメッセージは「人生は短く、浪費してはいけないという事」だ。セネカは、人は果てしない欲望や誰かに評価される事に必死で人生を浪費している。人は永遠に生きていられると勘違いしている。しかし、必ず死が訪れる。だから、今日という日を無駄にしてはならない。このように主張している。

 この本を読み、ますます校庭でのランニングがバタらしく思えた。

「生きるという学問」

 しかし、彼の伝えたい事とは異なる解釈をしていた事にこの砂漠で気がついた。彼の主張する浪費とは必ずしも合理的でない事だと言っていない。むしろエリートであるパウリヌスに対して引退を勧めている。彼はこの本で「生きるという学問は自分で学んでいかなければならないという事」を主張している。経済学、政治学、商学などを教えてくれる人はきっといるだろう。しかし、生きるという学問は誰も教えてくれない為、自分自身で学んでいかなければならない。「生きるとういう学問」と向き合わなければならないという主張が本質的な訴えだったと今なら分かる。

画像:セネカの死。詳細はwikiでお願いします。

 今僕は、校庭で走り込みをしていた連中の100倍顔を歪ませ、男梅のような表情で一歩一歩ゴールを目指し進んでいる。しかし、どんな姿であれ一所懸命努力する姿は美しい。そして、そんな人からは元気が貰える。何より一生懸命になった方が自分も楽しいのだ。人生は熱狂だ。スタッフは亀よりも遅い僕たちを何時間も炎天下の中応援してくれた。音楽をかけてくれたり、体温を下げる為に水をかけてくれた。おまけに、コーラまでこっそりくれた。

 感動の完走。85キロ34時間45分で完走した。順位は最後から三番目。だけど、とても誇らしく思う。また、感謝の気持ちで一杯である。自分一人で歩いていたら心が折れていただろう。

 現在総合順位1位のモロッコ選手ラシッド、日本人ランナー、スタッフから祝福された。その後、大会側からコーラが配られた。冷えているだけでもうれしいのに、コーラである。世界で1番美味いコーラと聞いていてが納得である。

画像:大会後の写真。隣は優勝者のラシッド選手

 少し休んだ後、マメの処理をする為にメディカルテントに向かった。重症でない限り、ドクターに頼らず自分で処理しなければならない。しかし、僕は血や針が苦手なので処理は非常に辛かった。四苦八苦している僕を見かねて、イギリス人のドクターが最初の一つは私がやってあげると言ってくれた。とても親切だ。1.5倍くらいに腫れあがった小指を処置してくれた。次から自分でやらなければならない為、じっと観察していたが吐き気とめまいがして一旦外で休んだ。過酷なのはレースだけではないのだ。

 外で深呼吸した後自分で処置してテントに戻った時には既に日が暮れていた。急いで食事をして、寝支度をした。マットレスは捨てた為、横になると砂利で背中が痛いが、疲労の為すぐに眠れた。

上の画像:大会後の写真。3ステージ最後に一緒に歩いてくれたスタッフの方。

下の画像:大会後の写真。3ステージ後にマメを処置して頂いたドクターの方。

ちょっと似ているのは気のせいだろうか。