・1ステージ 4月14日距離31.1km 制限時間10時間

 レース開始時刻は7時半。起床した時刻は6時だ。僕が起きた時には、皆支度を始めていた。サハラマラソン経験者である学生寮の先輩から、サハラマラソン期間は暇だったと聞いていた。しかし、食事とレースの準備などで忙しい。マラソン中は砂が入らないゲーターという装備を足に付けて走る。ゲーターの他、膝のサポーターやゼッケン番号を胸に付けたりしなければならない。

上の画像:1ステージの地図

下の画像:スタート直前の風景

 レース開始時刻にぎりぎり間に合った。スピーカーから流れる「highway to hell」に合わせて皆踊ったり叫んだりしている。スタートと同時に参加者が壮大な大地に走り出していく。そして徐々に音楽が聞こえなくなり、静寂が広がった。とうとう始まったようだ。驚いた事は汗を全くかかない事だ。いや、乾燥しすぎて一瞬で乾くというのが正しい。それほど砂漠は乾燥していた。コースは絶景である。人が生活していない本当の自然を体験している。

 この日は31キロを制限時間10時間で進む。約10キロ毎にcheck point (以後CP)という給水や小休憩が取れるテントが設置されていた。皆選手は様子見といった印象でペースを控えているように見える。しかし、ペースはゆっくりである外国人選手たちだからどんどん距離を離されていく。一歩の大きさが違いすぎるのだ。

 ここで正直に告白すると、僕は3月に90キロを25時間で歩き、週2回の10キロランニングを約2か月練習しただけだ。他の日本人の方は最低でも半年以上前から月200キロは走っていたと聞いた。サハラをなめていた。資金集めやメディアへの露出ばかり気にして一番肝心な練習を怠っていたのだ。

 荷物が重くてまだ10キロも歩いていないが肩が痛い。楽しい時間は終わったようだ。忙しい事を言い訳にして、練習不足だった事を後悔しても後の祭りである。まだあと240キロ残っている。奥に断崖絶壁の山が見えてきた。迂回すると思ったが、なんとこの山を登っていくらしい。マラソンと聞いて平坦な道を想像していたが、コースは砂丘や谷、崖などなんでもありらしい。崖を登り終えた地点で太ももの筋肉が悲鳴を上げている事に気づいた。あと235キロ残っている。

画像:山頂で撮影して頂いた写真

 行動食を食べて気を紛らわせ、なんとか1ステージを完走した。完走した際、スタッフの方が盛大に盛り上げてくれた。立っているだけでも暑いのに、何時間も情熱的なマイクパフォーマンスを提供している事に驚きだ。特に、日本人唯一のスタッフの方は盛大に完走を喜んでくれた。

 テントに向おうとすると、完走早々に5キロの水を渡された。疲労困憊の中、この水を自分のテントまで運べっていうのか!!文句を言う体力もないので、足を引きずりながら運んだ。翌日CP1までこの水で生活しなければならない。その為、服を洗ったり、髪を洗う際は最大限節約しなければならない。

 テントに戻って靴を脱ぐと足全体が蕁麻疹でかぶれていた。砂除けのゲーターを装着した結果、足が蒸れて汗疹?のような紫の湿疹で足が覆われていた。ビバーク内にはメディカルテントが設営されていたのでドクターに診てもらった。しかし、専用のクリームなどはなく「掻くな」と注意されただけだ。あと220キロ。本当に大丈夫だろうか。

就活の時期に自分は砂漠で何をしているんだ。

・2ステージ 4月15日距離40km 制限時間13時間

 疲労が回復しない中、早朝5時に目覚めた。今日は7時スタートである。僕の食事は主に日清のカレーメシとエネ餅という行動食だ。通常素晴らしくおいしいのだが、三食ずっと一緒だと飽きてくる。既に10食連続で同じような食事なので、食事がきつくなってくる。我慢して流し込む。

 スタートラインに立つと、昨日と違って鬱憤とした雰囲気が漂っている。この日は開始早々、崖やいくつもの砂丘が待ち構えていた。水も入れて12キロほどの荷物を背負って進む続けるうちに2時間くらいすると右膝に激痛が走る。引きずるレベルで痛い。経験上、これは運動を中断した方がよい痛さだ。さあ、あと200キロ以上残っている。

上の画像:2ステージの地図

下の画像:CPの様子

 持参していた痛み止めを飲み、踏ん張りながら進み続ける。今度は蕁麻疹が痒い。CPに到着するたびに裸足になって蒸れた足を乾燥させた。そんなことをしていると一気に最後尾まで順位を落としていた。

本音

 再びスタートするものの、全身が痛い。辛い。なぜ人生を左右する就活の時期に砂漠を走ったりしているのだろう。サハラマラソンが馬鹿馬鹿しく思えてきた。そして、何よりそんな事をしている自分に腹が立ってきた。

 ここだけの話だが、僕の本音を聞いて欲しい。僕は総合商社を目指して就活をしていた。しかし、総合商社の二次面接とサハラマラソンが被ってしまった。サハラと面接は被らないと思っていたが総合商社の面接の日程が3月頃に確定した際に、二次面接が被っている事が判明した。二次面接が被っていると分かっていても、一次面接まで必死に準備して全力で選考を突破した。サハラ砂漠で電波が入ったり抜けたりする環境で二次面接の日程調整を会社に打診したが、断られた。

 総合商社の仕事や商社マンの人生に興味を抱いている。しかし、本音は家族が望んでいる自分になる為だ。祖父や曾祖母は財閥系総合商社に勤めていた。彼らは自身の人生を誇りに思い、僕も彼らを誇りに思っている。僕はこれまで7回の引っ越しを経験し、相手の顔色から相手が言って欲しい言葉を機敏に察してしまうようになっていた。だから、彼らが僕に商社マンになる事を望んでいると何となく察していた。そして、総合商社を目指していると言っていた。僕は根本的にネガティブで争い事が嫌いなんだと思う。だから、親が早稲田大学政治経済学部に行ったら喜びそうだと思い、高校時代必死に努力した。決して家族は僕に進路を強要したりはしない。しかし、自分の決断を否定される事を恐れているから家族が正解とする人生を選択しているのだろう。就活も例外ではない。家族が誇りに思うであろう、総合商社を目指して努力していた。家族の意見は合理的だ。そして、総合商社は素晴らしい会社だ。高給で世間体も良い。皆が羨む総合商社だ。僕も理解している。しかし、僕は死ぬまで家族の求める理想を演じるのだろうか。自分が本当に求めているものは何だろうか。正直、僕もよく分からない。シャンデリアが煌めくレストランのお肉より吉野家の牛丼の方が美味しい、と思う。スポーツカーよりも日産の方が燃費が良くて気も遣わず快適である、と思う。麻布十番のタワマンより今住んでいるぼろくて汚らしい学生寮の方がよっぽど楽しくて快適である、と思う。贅沢に興味がないのだ。そして、皆が羨むものを羨ましいと思えない自分がいる事に気がついている。

 そんな葛藤の中、サハラマラソンの存在を知った。最初は馬鹿らしく聞こえたが、本音を言うと、面白そうだと思った。サハラマラソンンに出場した先輩の、自身の好奇心に従い決断する姿勢がかっこよかった。そして、羨ましかった。気が付くと本当に軽い気持ちで応募していた。人生で一度は自分で選択してみたかったんだと思う。家族の皆さん、ごめんなさい。

 しかし、今後悔している。東京で二次面接を受けていた方が良かったかもしれない。人生を左右する就活の時期に、毎年死者が出ている地獄のサハラマラソンに出場している。何やってるんだ、俺。

 気を紛らわせる為に行動食のエネ餅を食べた。食事中もお構いなく砂嵐が吹くので、咀嚼するたびにシャリシャリする。

 しばらく歩いていると、前の方に70代の老夫婦が並んで歩いている姿を見かけた。後でスタッフに確認したがこれは幻覚ではない。地獄でも二人仲良く手を繋ぎ歩き続ける老夫婦。素敵じゃないか。少しだけ気持ちが明るくなった。

 今日のステージを完走してテントで休んでいると、頭皮がとても痒くなってきた。砂漠会場に来て4日目の夜になる。当たり前だが、シャンプーなど一切出来ない。髪に指を通す度に大量の砂が顔に落ちてくる。少し悲しい気持ちになるので以後頭皮を掻かない事にした。

日本人に生まれただけでも幸運。

 今夜はなぜかベルベル人スタッフがビバーク中央で騒がしくしていた。今夜はキャンプファイヤーをするそうだ。満点の星空の下で焚火を色々な国籍の人たちで囲い、彼らの民族舞踊を鑑賞した。美しい夜だった。余談だが、40か国以上からこのレースに集まっているらしい。そして、その参加国は先進国ばかり。途上国ではエンタメとしてスポーツは振興するが、マラソンは単なるカロリーの浪費である為普及していないそうだ。いつか、全ての国から参加者が集まるといいな。そんな風に感じた。

上の画像:キャンプファイヤーの様子

下の画像:参加国の国旗

 民族舞踊が終わり、皆が自身のテントに戻った後も燃え続けている焚火を感傷的になりながら眺めていた。そんな時に、宇宙船を見た。信じてもらえないと思うが、10個ほどの光が列をなして直進して消えていた。砂が脳に入り込んでいるのではないか、と焦った。すぐそばにいたベルベル人スタッフに尋ねたが、確かに動いているが正体は分からないと言われた。宇宙船の正体は明らかにならなかったが、脳は正常らしい。安心した。その彼としばらく談笑した。彼は一度も砂漠から出た事がないらしい。世界を旅したいと打ち明けてくれた。そうだ、自分はあまりに恵まれているのだ。改めて自分がどれほど幸運であるか感じさせられた。途上国からもサハラマラソンに参加できるほど途上国を豊かにしたいな。

 テントに戻ると日本人全員が既に就寝していた。まだ20時である。いつもより早く寝ている理由は、明日から制限時間35時間の不眠で85キロ走るステージだからだ。先ほど自分が幸運であると感じたが、勘違いだったかもしれない。不安と全身の疲労感を感じながら眠りについた。