おはようございます。

今日は祭りについて色々と感じることがあり、

記録の意味も込めて書きます。

 

今年は異例の猛暑が続いておりますが、ここ北海道も本州ばりの気温になっています。

例年だと寝苦しい夜なんてほとんどないのですが、今年は1ヶ月ほど続いてます。

お盆を過ぎたら北海道の短い夏は終わりのはずなのですが、昨日も日は落ちても私の汗は滴り落ち続けました。

あれ、、、そんなにうまいこと言えてないですね・・・

 

さて、本題です。

私自身幼少期から所謂「地元」は存在し、5歳〜19歳まで同じ地域に住んでいたわけですが、お祭りといったイベントに対して、大した思いを持っていなかったと記憶しています。

記憶にあるのは、町内会で嫌々神輿を担いだ、近隣の神社の縁日に物を買いに行った。隣町の七夕まつりに行った。高校に入ると電車に乗って有名な花火大会に行ってみた。ぐらいですかね。

 

その「地元」について「祭事」を通して感じる事がありました。

参加している人たちの必死な表情や空気感を感じようと感情移入を試みようとすると、無性に胸が熱くなるのです。

それは地域と自分の「距離感」なのでしょうか。「所属感」というものなのでしょうか。

 

この感覚は何なのか。

不思議な感覚です。

 

昨年度、今年と自分の子供が、幼稚園行事でお祭りに参加している姿を見て、

子供たちの「地元」がこうやって形成されていくかな?とか、私自身が少しでもその「祭事」に関わりを持てることが何故か嬉しくて「所属感」みたいなものを感じています。

 

それは「お客」として参加するのではなく、「身内」として関係を持っているのからなのかもしれません。

歳を重ねて少しでも「自分ごと」として物事を考える事ができる様になったからなのかもしれません。

 

地元を離れてから19年経ちますが、地元の連絡を気軽に取れる友人も全くいないこともあり、私自身の「帰る場所」を探しているのかもしれないなと思ったりしております。実家の両親は健在ですが。。。

 

そんな心の揺れを感じるようになって、私自身の「郷土愛」の形成みたいな部分に関して、何かしらの「コンプレックス」を抱えているのでは、と考えるようになりました。

 

定住に向けて少しずつ話を進めているのですが、自分たち家族の住処を見つけられるよう、少しずつでもよいから歩みを進めていきたいと思います。

 

 

模索中の毎日ですが、記録の意味も込めてのブログでした。

この心の揺れの原因は何なのか、もう少し「自己分析」を続けていこうと思います。