この1ヶ月半ずっとモヤモヤ燻ぶっていた思いを書きました。

不快に思われる方もいるかもしれませんが

個人的な思いです🙇

 


7月の中旬だったかな。

ある嬉しいニュースが飛び込んで、ワクワクした。


その直後からワクワクは不安に変わり

不安は恐怖や恐れのようなものに変化し

私は1ヶ月以上、そして今も重く苦しい想いを抱えることになった。


もう知らない人はいないであろう

小山田圭吾いじめ問題。



小山田圭吾が辞任した日、彼が携わったオリンピック開会式を聴きたかったと呟いた。


するとそこへ明らかに通じ合えない感覚の内容でリプライが来た。関わる必要がないと思いブロックしたら、同一人物と思われる別アカウントから再度同じリプライが来た。

SNS怖いと思った瞬間だった。


私は口をつぐんだ。


オリンピック開会式の音楽担当が公表された直後

またたく間に、過去の雑誌の内容が拡散され、1週間ほどで私のワクワクは、大きく変化してしまった。

拡散された多くは、悪意ある切り取りで内容が歪んでしまった記事やそれを元にしたものだった。


そうじゃない、違うよって思うのに

怖くて、そして自分が正しいかも不安になっていった。

事態が悪化していくのを見ているしか出来なかった事への罪悪感。


プライベートでも、小山田君の事は口に出さなかった。

ある日職場で小山田圭吾は好きじゃないんですか?と聞いてきた人がいた。

彼は私が小沢健二を好きなのを知っていたから。


それ、今、地雷だから。


え?どっちですか?


大好き。

許せない。悪意ある拡散。


って言ったその時、

やっと口に出来たって

少しだけ心が軽くなった自分がいた。


黙っている自分が卑怯者に思えて苦しかったから。


いろいろ考えたけど

うまく言葉がまとまらないし。

自分の考え間違ってるかもしれないし。

なんて...

でも結局はただ怖かったんだよね。

否定されるのも。

この前みたいに通じ合わない言葉で

丁寧さを装って罵倒されるのも。


小山田君が昔から炎上を繰り返していた事は以前から知っていてもう消化していたはずのことだったのに、こんな簡単に動揺するのかと自分の感情の脆さに気づいた。


結局いろいろ考えて行き着いたのは

自分が見て聴いて感じた小山田圭吾を信じるという事。


記事(ROJ、QJの記事の原文の事)が本当かどうかはわからない。

本当かもしれない。というか、

本当のこともあるだろう。

でも本人が全て本当のことを話しているかわからないし、出版物には編集者の意図も入ると思う。


私はこれを読んで、小山田君がいじめたとされる障害者の方とは友達として付き合っていたのだと感じた。

そして書かれている「いじめ」がどの程度のものであったか。

これは本人や当事者にしかわからない。

個人的には言われているほどの悪質さではなかったのではと思っている。


文章になると読み手がどう捉えるかで印象は大分違うものになる。


読んでショックを受けた、傷ついたと言う人の思いを否定する気はないんです。

私も初めて読んだときはショックだったから。


でも、このどこまでが真実かがわからない

ましてや何十年も過去の出来事で

彼の全ての仕事を奪うのは違うと思う。


小山田圭吾の謝罪文には

事実と異なる点が多くある

と書かれている。

どことは書かれていないけどそうなんだと思う。


謝罪文すら批判されたけど

私はこの謝罪は誠実なものだと感じた。

自分の責任として受け止める覚悟なのかなと思った。


小山田圭吾は彼にしか創造出来ない世界観を生み出せる素晴らしい音楽家と思う。


彼の音楽を私はこれからも聴き続けるし

新しい音楽をもっともっと聴きたい。

ただそれだけ。私はCORNELIUSの音楽が好きだ。


読んでくださった方ありがとう。



↓わかりやすく丁寧に今回の件の経緯をまとめ検証されています。

後半部分は自分の思いを代弁してくれてるようで涙が出ました。

こちらはたくさんの人に読んで欲しいです。


 

↓METAFIVE「環境と心理」

作詞作曲:小山田圭吾

フジロックのMETAFIVEはメンバー6人中4人が不在の中

残った砂原良徳、LEO今井、サポートメンバー2人で圧巻のライブ。魅せてくれました。

ラストで演奏されたこの曲はThe・小山田圭吾なこの曲でした。