神戸連続児童殺傷事件など重大少年事件の記録が、事実上の永久保存に当たる「特別保存」とされず廃棄されていた問題で、最高裁が調査報告書を公表し、「最高裁による不適切な対応に起因する。後世に引き継ぐべき記録を多数失わせてしまった。深く反省し、国民の皆さまにおわびする」と責任を認めた。

 

私が取材したいくつかの少年事件の記録が廃棄されていたのを知った時は、さすがに驚いた。遺族の方はもちろんのこと、私達国民も憤りを感じている人が多かったのではないか。歴史的、社会的な意義をもち、史料的価値がある記録を「国民共有の知的財産」として国が保存することが当然だと思っていたが、実際は違っていたのだ。

 

「なぜ、このような少年事件が起こったのか」という疑問は、誰もが思うことだろう。少年法は少年審判を非公開にしており、記録は見ることができない。しかし、残してさえおけば、いつかは公開、閲覧が可能になるかもしれないのだ。少年事件はどんな些細なものでも取材は難航する。そのため地を這うような取材を行なわなければならない。世の中を震撼させた重大事件の記録が、犯罪心理学や犯罪社会学の研究等に役立ち、再発防止対策や教育・養育などにも繋がるはずなのだ。

本当にどこにも残っていないのだろうか?