昨日、「僕はパパを殺すことに決めたー奈良エリート少年放火事件の真実」(講談社)を巡る事件で、鑑定医の先生の上告棄却が決まりました。


 


今朝、新聞全紙を駅で買って目を通しました。


 どの新聞も大きく紙面を割いて取り上げていました。


崎濱先生のコメントを読んで、私と全く同じであることを改めて実感しました。私と講談社は、強制捜査が始まった直後から、言論の自由を守るために、崎濱先生と協力し合うことを強く望んでいました。しかし、実際には、一審から最高裁まで、ついに一緒に闘うことができませんでした。何故か? それは、話し合いをする前から、崎濱先生の主任弁護人から私と講談社が一方的に敵視されていたからです。主任弁護人は、崎濱先生に会う前から、私の代理人弁護士に、「草薙さんには筆を折ってもらいます」と断言し、奈良地裁の法廷でも同じことを繰り返し言っていました。意図的に、私と崎濱先生を対立させました。まるで、ドラマ「運命の人」の外務省の事務官の弁護士(元検察官)と同じでした。


言論の自由を守るには、情報提供者と情報受領者が協力し合って権力と闘う必要があります。情報提供者を被害者、情報受領者を加害者と位置づけ、分断し対立させることは誤りです。崎濱先生の主任弁護人の責任は重いと思います。


 


 今朝の新聞記事のうち、読売新聞の記事は事実関係を誤らせるような書き方になっていて、気になりました。


 


 ——自身は不起訴(嫌疑不十分)となったが、崎濱被告の公判に証人出廷すると、情報源を「崎濱先生です」と明言した。「取材源を守り抜く意志に欠け、公権力の介入を招いた責任は大きい」。出版元の講談社第三者委員会も報告書で、草薙さんや担当編集者について厳しく批判した。——


(2月16日読売新聞朝刊より)


 


 これでは、私が法廷で証言した後に、講談社の第三者委員会が私の証言を批判しているように読めますが、実際は逆です。


 2008年4月に、講談社の第三者委員会が、記者会見の場で、委員の方が「編集者から取材源は崎浜先生ですと聞いている」と取材源を明らかにしました。その時、読売新聞記者の方から「草薙さんは(取材源を)明らかにしたのですか?」の質問に対して、委員は「草薙さんは明らかにしていません」と答えたのです。これは、テレビやインターネットで放映されました。


 


 それまでの私は、取材源を公言することは全く考えていませんでした。しかし、第三者委員会の会見によって取材源が明らかになってしまったため、取材源の秘匿の意味が無くなってしまったのです。


 


 そして2009年1月19日。私は奈良地裁へ証人として出廷しました。この日の私の『取材源の秘匿を解除した理由』というタイトルのブログを読んでいただければ判りますが、弁護士と相談した結果、第三者委員会の記者会見で公になり、マスコミでも報道されているので、取材源を言わざるを得なくなっていました。この時点で取材源を証言しないのは、もはや茶番です。


 


 記事を書いた読売新聞の記者に事実を確認すると、早刷りの時には時系列表が掲載されており、第三者委員会が先行していることははっきりしているので誤解の余地はなかった、それがその後緊急ニュースが入り、時系列表が削除されてしまったとのことです。


 


たしかに、紙面が時々刻々と変わってしまうのはやむを得ませんが、そうであれば、記事の方も誤読されないよう書き直してほしかったです。この文章だけ読むと、私だけが情報源を守らず、そのことで第三者委員会に批判されたかのようです。これは全く事実と異なります。


 


 この事件では、NHKが「草薙厚子が自白した」という誤報を流した直後に、崎濱先生が「自分が情報提供した」と自白をしています。検察がNHKと組んで崎濱先生を陥れたのです。この件で、私はNHKを訴え、勝訴的和解を得ましたが、NHKが検察と組んだことは、マスコミはどこも批判しませんし、問題にもしていません。


言論の自由の危機は、記者クラブに所属するマスコミ自身が引き寄せているのではないでしょうか。