昨日、「陸山会」の小沢一郎氏の公判のニュースが、流れていた。石川知裕議員の証人尋問が終了したとのことだ。


石川議員の虚偽調書に署名してしまった理由として、「我が身かわいさと、検事から『ここまで書いても小沢の起訴はない』という言葉があった。自分の弱さと判断の甘さだった」と述べている。「自分の弱さと判断の甘さだった」という言葉に、胸が詰まった。


私は取調べを50日間受けたことがある。しかし、逮捕、起訴されなかった。調書に署名しなかったことが関係するかどうか分らないが、私は殆ど調書に署名しなかった。なぜなら、担当の検事が書いた供述調書に署名しろと言ってくる内容に、書くことを仕事にしている私には、違和感があったからだ。それには、伝えたはずの私の考えや思いは、一切入っていなかった。得意げに、調書を音読する担当検事は、奇妙な動物にしか見えなかった。


しかし、私の場合は、異例であり、石川議員の動向の方が、正常だと思う。検事は、巧みな嘘を準備して、取調室に入ってくる。被疑者は、そこで萎縮してしまうし、信頼している人の「起訴はない」などと言われれば、信用してしまうのだ。検事が供述調書を音読して、すぐに「はい、これに署名してください」と言われると、平常心は保つことは出来ず、署名をしてしまう。しかも、長い時間、拘束されていることもあり、早く終わりたいという気持ちが大半を占めてくるのだ。


裁判長からは「事実と違うことに署名すれば、秘書として仕えた方に不利になるという認識はなかったのか」という質問があったとのことだが、裁判長は、取調室の様子を考えて欲しい。いかに、取調室で被疑者は孤独なのか。何も資料もなく、丸腰で、ただ、責め立てられ、挙げ句の果てに、署名しろと迫る。いくら、自分がシロだとしても、その時の心理状態は、正常には保つことはなかなか難しい。


 


検察による有罪率は99.9%と言われる中、検察と裁判所のもたれ合いがある。検察の卑劣な捜査手法が、公になったのはここ1年である。今までのように、検察・裁判所一体で、冤罪なのに有罪判決が出されているとすれば、裁かれる国民はたまらない。