今日は、突然、ラジオの生出演がなくなってしまいました。

用意万全だったのに残念。すでに報道されている通り、『僕はパパを殺すことに決めた』について法務省から勧告を受けたことが理由のようです。

まあ、仕方ないですね。自分ではどうすることもできません。




少年犯罪を取材すると、我が国の「少年法」はこのままで良いのかと思います。加害者が少年だった場合、被害者の遺族ですら、なぜ自分の愛する人が殺されたのか分からない。

自分の子どもや妻、夫、大切な人が殺害されても、本当のことを知ることができないのです。

また国民にとっても、 「勉強もできる普通の少年がまた、殺人を犯しました」と 報道されるだけでは、不安を煽られるだけです。

「自分の子どもは大丈夫?」「なぜ、お勉強のできるいい子が人を殺すの?」 と、子育てに不安を持っている親は多く、沢山の相談のメールやお手紙、お電話をいただき ます。

「厳罰化」をもって「少年法の改正」だと言われていますが、「お勉強のできる」子どもが親を殺したり、弱い人を殺したりすることは、それで止めることはできないで しょう。

なぜなら彼らは、罰の軽重によって自分の行動を決めるわけではないからです。

それより必要なのは、適切な情報開示ではないでしょうか。

私は加害少年を社会全体で糾弾せよと言っているのではけっしてありません。現行の少年法ではすべての情報がシャットアウトされ、国民ひとりひとりが同種の犯罪を防 ぐための手だてを考える道が閉ざされていることを、問題視しているのです。

当然、当事者のプライバシーには配慮しながら、必要な情報を開示したほうが良いと私は考えています。

必要な情報というのは、具体的には生育歴など、事件を起こすにいたった背景です。

そうした情報を共有することによって、世の親たちは、自分の子どもに対する教育を見直し、自分の子どもの非行を防止しようと努力することができます。

お勉強のできるお子さんの親は、「ウチの子に限って」と思っているでしょう。私が 取材してきた加害者の親も、子どもが非行を犯してから「まさか自分の子どもが人を殺そうと思っていたなんて」とおっしゃいます。

事件を他人事と片づけてしまうのは、とても危険な考え方だと思います。




私が今回、『僕はパパを殺すことに決めた』を書いたのは、子育てに不安を抱く親が 多い中で、「子どもは親の所有物ではない」ということを伝え、真剣に子どものこと を考えるきっかけにしてほしいと思ったからです。私のその思いに、講談社も賛同し てくれました。

法務省からの勧告はもちろん真摯に受け止めますが、私がこの本に込めた思いを、皆さんにはわかっていただきたいと思っています。




草薙厚子