2008年10月20日 東京地方裁判所提出




意見陳述書  2008年10月20日




少年鑑別所での少年たちとの出会い

私は大学卒業後、法務省に入り、少年鑑別所の法務教官になりました。

事情があって2年で退官しましたが、その間に少年鑑別所で出会った少年たちから学んだことは今でも生き続けています。それは、人間関係を構築する出発点となる親子・家族関係によって子どもはどのようにでも成長できる可塑性があるということです。




『少年A  矯正2500日 全記録』

2004年、私は、1997年に神戸で起こった児童連続殺傷事件の加害少年の矯正の記録を1冊の本にまとめました。『少年A  矯正2500日 全記録』がそれです。これまで日本ではこの種の内容のものはありませんでした。

この本を書くことにしたのは、日本中を震撼させた事件の加害少年がどのようにして事件に追い詰められて行ったのか、どのようにして世の中に戻れる人間に変わってきたのかということを、世の中に具体的に示すことによって、加害少年と被害者・遺族や社会一般の人々が同じ社会で共存できることを実感してほしかったからです。

また、法務教官の仕事ぶりのすばらしさも知ってほしいと思いました。




法務官僚との対立

しかし、法務省の中には私のこのような仕事を評価しない、それどころか、むしろ、嫌悪している人たちもいます。

私の仕事を嫌悪する人たちは、少年事件はなるべく世間の目に触れない形で処理できた方が、加害少年のためによいという考え方です。この考え方は穏便ではあります。しかし、この手法では、加害少年の過去を社会で共有し、社会が的確に援助してゆくという人間関係を構築することはできません。再び事件を起こしたら、その都度だれかが処理をすればよい。それだけです。




法務官僚による集中攻撃

2006年6月に起こった奈良少年放火殺人事件を取材し、週刊現代、月刊現代に記事を書きました。そして、2007年5月21日、単行本『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真相』を出版しました。

法務省では週刊誌、月刊誌に記事が掲載されたときから注視していたらしく、法務省内部の知人から聞いたところでは、単行本の出版直前から法務省内部で資料提供した犯人を探していたそうです。

出版日をXデーと決めていたかのように、出版日翌日の5月22日から法務省の表立った攻撃が始まりました。

法務官僚は、当時、まだこの本を読んでいない長勢法務大臣にこの本にプライバシー侵害の問題があるという趣旨の発言をさせました。直後の5月28日、東京法務局は、組織内の発案で、この本を人権侵害の問題があるとして調査開始しました。そして、7月4日には関係者数人の聞き取りを済ませて、同月12日に、東京法務局長名義で勧告を発しました。何と手際のよいことでしょう。

東京法務局の調査開始後、勧告を発する前の6月21日、元検事総長を含む元検察官の弁護士らによって作成された加害少年とその父親名義の告訴状(罪名は秘密漏示罪)が、奈良地検に提出されました。絶妙のタイミングです。

 

突然の強制捜査

2007年9月14日早朝、自宅が奈良地検による家宅捜索を受けました。全く予想していなかった事態です。

しかし、奈良地検では最初から明確な事件の構図を決めていました。それは、私が京大教授との肉体関係を利用して、京大教授と親しい鑑定医から捜査情報を入手したか、私が鑑定医に現金を渡して直接、捜査情報を入手したかというものでした。これは、1972年の外務省機密漏洩事件のときの問題点のすり替えと全く同じ手法です。

実際にはそのような事実は微塵もありませんから、その裏付け証拠は何も出てきません。奈良地検を利用して私を陥れようとした法務官僚の謀略は完全に失敗でした。このまま逮捕者なし、全員不起訴では、奈良地検の面目は丸つぶれです。鑑定医の逮捕、起訴は、奈良地検のメンツのためだけに行われた権力の暴走行為です。




 新聞・テレビの識者らのコメント

 奈良地検の強制捜査開始直後から、新聞やテレビは一斉に私に対する批判を始めました。とくに多かったのは、供述調書の引用を多用するから取材源がわかってしまったのではないかという趣旨のものでした。

 しかし、この指摘は正しくありません。今回の取材でも取材源はいくつかあります。法務省の内部調査ではこの本の記述からはだれが情報源かを特定できませんでした。奈良地検が秘密裏に組織的に動いた結果として関係者を絞り込み強制捜査に至っているのです。

 




 取材源の秘匿

 私はこれまでどの仕事でも取材源の秘匿を守ってきました。そうでなければ、秘密性の高い情報は手に入りません。ジャーナリストとして当然のことです。今回の取材でも多くの人の取材協力を得ていますが、公にしてはならない人たちについては、約束をしていなくても、取材源が本の書き方からわからないように配慮しました。

少年Aの本を書いた時も今回も、私は法務省内部の人たちの取材協力を得ていますが、法務省ではどちらについても取材協力者を割り出すことができませんでした。

 

NHKニュース

私は、昨年9月14日から10月28日までの間、被疑者として19回、検事の取調べを受けました。取調べでは、捜査資料の情報提供者がだれかということを執拗に聞かれました。私は、「取材源は言えない」と言い続けました。

4回目の取調べが終わった翌日、9月22日の早朝のことです。テレビのNHKニュースで私の取調べ状況を放送しました。

<供述調書の写しに、草薙さんの指紋が残されていたことがわかっていますが、草薙さんが事情聴取に対して「医師に『供述調書を見せてほしい』と頼み、写しを見せてもらった」と話していることが新たにわかりました。>

というものでした。

私は、取調べ検事から調書のコピーから私の指紋が出たという話を聞いたことがありませんでしたし、取材源に関する具体的な供述をしたこともありません。NHKがどうしてこのような報道をするのか、全く理解できませんでした。他局のニュースと新聞各紙の記事を確認しましたが、NHKと同じ報道をしている社はありませんでした。

同日、NHKに抗議し、訂正放送を求めましたが、「報道内容に誤りはない」と、拒絶されました。私は、急遽、記者会見を開き、公の場でNHKに抗議しました。このときすぐにでも提訴したかったのですが、並行で捜査対象になっていた鑑定医に迷惑をかけてはいけないと思い、延期せざるを得ませんでした。

今年3月に改めてNHKに抗議文書を送りましたが、回答内容は同じでした。

NHKとNHKの虚偽報道を信じる視聴者にとって、私はいまだに取材源を取調べで簡単に話してしまう、ジャーナリストとして最低の人間のままです。




私を支えているもの

しかし、私には、『僕はパパを殺すことに決めた』を真剣に読んでくれた読者という心強い味方がいます。私の手元には彼らからの手紙と葉書が数十通あります。

その中の1通の手紙の送り主は、自分の息子もこの加害少年と同じ歳で同じく広汎性発達障害を持っているという母親でした。病名を知り理解するまでは地獄の毎日だったことや、知ってからの夫は息子に優しくなり、家族全員が前向きに生きられるようになったことなどが書かれていました。母親は次のように書いていました。

「発達障害を理解する事はとても大変ですが、早く気付く事は大切です。少年犯罪のニュースを聞くたび、他人事ではなく、いつ我が家に起こっても不思議でないと不安です。でも、もし正しい理解とまわりのサポートがあったら悲劇は防げるかもしれません。この本で草薙厚子さんが発達障害について取り上げて下さったことに感心を致しました。・・・是非、この外からは見えにくい、気づきにくい広汎性発達障害の、世間の正しい理解と、そして奮闘している本人と家族の支えの大切さを世の中に啓発していって下さればと願っております。又、アスペルガー症候群=犯罪予備軍という世間の誤解も解いてほしいと願ってやみません。」




おわりに

NHKは、誤報を認めず、謝罪せず、訂正報道をせず、私のジャーナリスト生命を絶とうとしています。この頑なさは、外務省機密漏えい事件の西山記者の訴えに耳を傾けなかった、当時の新聞・テレビとまったく同じです。

私も、西山記者が闘ったように、自分のしてきた仕事の名誉にかけて引き下がりません。私は、自分の名誉回復と、謝罪できないNHKの体質を改めさせるために、この裁判を最後まで闘います。

以上