取材源の秘匿を解除した理由




供述調書の引用を多用する形で書いた『僕はパパを殺すことに決めた』は、強制捜査がはじまるまで圧倒的に多くの人に支持されていました。それが、2007年9月14日に突然の強制捜査が行われ、マスコミで大きく報道された以降、識者の私に対する批判は猛烈でした。本の内容に絶対の自信をもっていた私はほんとうに驚きました。わたしが国家機密を盗み出したというのならいざ知らず、日々、新聞やテレビなどで報道されている犯罪情報の断片と同じです。どこが犯罪なの?わたしは幾度も心の中でおかしいと思いました。同じく強制捜索を受けた崎濱先生の真意がわかるまで、取材源の秘匿を通すしかないと思いました。

しかし、講談社は第三者委員会を通して、一緒に取材を行っていたジャーナリストや編集者が全員、取材源を会見で明らかにしてしまい、私一人が取材源を秘匿し続けることになりました。そのような中、崎浜先生が「自分は認めているのだから、事実を言って欲しい」と述べており、弁護団から「情報源を認めた上で、被告に迷惑をかけた事を謝罪して欲しい」という確かな情報が複数もたらされました。そのような中、ジャーナリストとしては、情報源を言わない事が良かったかもしれません。しかし、ジャーナリストである前に、私は一人の人間です。保護利益や公益性がなくなれば、情報源の秘匿は解除してしかるべきではないでしょうか。私がこの場においても、情報源を秘匿すると貫き通したことが被告人にとって利益になったとは思いません。 私は、決して自分の立場を守るためにこれまで秘匿を貫いたわけではありません。取材源の真意を確認出来ない限りは明らかに出来なかったのです。秘匿による取材源の利益を、明らかにすることによって被告にもたらされる利益を比べた場合、「目的正当性」や「国策捜査」で戦うと決めている被告に私としては無罪を勝ち取るためには、協力しようと思っていました。

詭弁ではなく、これは人間として当たり前のことなのではないでしょうか。

「目的正当性」を考えると、私は、名前を伏せて、証言したとしても、被告には何の利益をもたらす事が出来なかった事は、多くの司法関係者に相談した結果、確実でありました。




国策捜査ということを考えると法務官僚は私を狙っていました。元検察官の濱田剛史弁護士が法廷で証言したように、私だけを逮捕、起訴したかったのです。少年事件に対する法務省の取り組みを問われるきっかけをつくる私の報道は、法務官僚(検察官・鑑別所・少年院・少年刑務所など)にとって邪魔者以外のなにものでもなかったのです。

 2007年9月14日の家宅捜査で預金通帳が差押えられ、講談社の関係者や事務所や家族に私の異性関係をしつこく聞いたのは、供述調書等を入手するために金銭の授受か肉体関係があったはずだという決め付けがあったからです。しかし、そのようなものが一切なかったために、私を起訴に持ち込むことができなかった。事実が判明したのちも濱田弁護士が「草薙だけはどうしても起訴してほしかった」と法廷で証言する態度は明らかに異常でありました。

 被告人に対する強制捜査、逮捕は、私の起訴を実現するための手段だったのです。しかし、私には犯罪の要素がどこにもなかった。その経緯は私の著書、「いったい誰を幸せにする捜査なのですか」(光文社)に詳しく書いています。




法廷の証言によると父親と少年が刑事告訴状を提出する半月も前に、奈良地検の小野寺明検事が、少年の付添人だった元検事の濱田剛史弁護士の事務所に行き、調査をしており、それを濱田弁護士が安易に応じているのです。元検察官という経歴があり、法務官僚に対する違和感がなかったとしても、私生活の会話ならいざしらず、弁護士業務に関する内情を捜査機関である検察官に話してしまうのはあまりにも安易すぎます。

そこを何故、記者が取材しないのかとても疑問です。

報道が、何も追求しないで、法務官僚のコントロール下に置かれていることこそがこの国の危機だと思います。取り調べの最中も、沢山のリークがありました。「情報源を自白した」などという嘘の報道をNHKは行政のリークでしており、現在も係争中です。報道は、事実をきちんと述べて欲しい。行政側の垂れ流しや記者会見での都合のいい箇所だけの引用ではなく、自分たち独自の取材した記事を書いて欲しいです。




とにかく、私や編集者は全員、崎浜先生を無罪にすることを目標としています。それだけです。それが、今後の報道の未来にも繋がることは確実です。