今朝、滞在先でテレビを見ていた。TBSの「サンデーモーニング」で「ジャーナリズムの受難」というテーマが放映されていた。残念なことに日本のメディアは「権力を監視するウオッチドッグ(watch-dog)」の役割を実践していない。もちろん、そのような意識を持って取材している記者も中にはいる。しかし、私が裁判で接してきた司法記者クラブの方々にはそのような気骨な人はいなかった。特に、私が裁判で争った報道を見ると、NHKは権力の指導の下、報道していたのだ。ジャーナリズムという仮面を冠った、プロパガンダと言えるだろう。裁判の冒頭陳述で語られた「NHKは権力側の取材しかしない。草薙さんを取材する必要がない」というNHKの姿勢には、全くジャーナリズムの匂いさえもなかった。


サンデーモーニングのゲストの涌井氏が「ジャーナズムは百貨店と同じ。包装紙は違うけれど、中身は同じ」と酷評されていた。事実、独自の視点から報道をしているのを読むことも、見ることも少ない。金太郎飴のような報道が次から次と洪水のように氾濫している。


ジャーナリズムの受難と言われている中、命を張って取材している記者がいる一方で、権力側が流したものを取材もせずに、そのままニュースにしているサラリーマン記者もいる。


すこし前の記事だが、日本での検察当局へのマスコミ報道の追随と癒着について、

米国のニューヨーク・タイムスも詳しく論じている。

このなかで日本の主要メディアが検察の流す情報を独自の取材でウラをとることもしないで、無批判に記事にしているメディアとそれを黙認している、あるいはそのことに気づいていないこの民主主義国”日本”の未成熟な現実に注目している。

http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html?_r=1


そのときNYタイムスから取材を受けた社民党・保坂展人議員がのべている鋭い指摘もある。

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/df0749f5e2d86a22102072d4802ea0c2




報道する側の姿勢を示すためには、事実を多くの人に伝えたいという情熱を持ち、行動することが求められる。残念なことに、今の報道にはそれに欠けているところがあるような気がしてならない。