長女は小学校入学からずっと通級に通っています。


通級とは発達障害の児童がかかえる、それぞれの、つまずきや苦手なことを別のカリキュラムで学びながら成長を助けてもらう教室。


他者に配慮することが苦手で、自分ルールだけで動きがちな娘に、色々な葛藤場面、共同作業を通してより良い対応を学びます。



しかし、、、



その教室は他校にあるため、午後からは授業を抜けることになります。

すると、なぜ早退するのか?と疑問視されます。



うちの子は在籍級では特別問題を起こしたり、浮いたりということがありません。

遅刻は続くんで悪目立ちしていることはありますが・・・

誰かに迷惑をかけたりはありません。

障害がっ。。。っていっても、


どこが障害?なんていわれますが、専門家など見る人が見ればわかります。


そのため、理解されにくく、かえって説明してもなかなか納得されません。


軽度発達障害の弊害ですね。



軽いからゆえに、理解されにくのです。





最近、娘が「養護学級に行っている」という噂を立てられたようで、本人も悩んでました。

通級に行くことは、嫌いではなくそこでの友達もいて、不得意さも理解される場であり、息抜きできる場であり、大切な場所。


隠さずとも、、、という気持ちはあります。

しかしそこは



高学年の女子


っていうお年頃のせいもあり、すんなり言えませんよね。

私も、取り立てて保護者会でみんなに言う感じでもないため、



聞かれたら、

「別のところで勉強しているの」などと流していました。



本当のことを言って、理解してもらうというのは、なかなか難しいだろうと思います。


娘の周りには、理解してくれる友達もいて、障害があっても変わらずに友達と言ってくれるし、、

そもそも、障害っていうより、性格でしょう?っていって仲良くしているので、ありがたいです。





啓蒙のために、発達障害のことを正直に話したほうがとも、思ったこともあります。

ですが、専門家からも、周りとトラブルもなく問題行動もないので言わなくてもよいといわれ

今に至っています。



娘が傷つくことは親心としては、避けたいと思いますが、他人と自分の違いに気づいてこそ、自分という人間を理解していける、、、


それは成長の一過程でもありますよね。



他人と違う と感じることは、だれもが思うこと。


恥ずかしいという気持ちは、自分を客観的に見ている証拠。


娘の成長だということにしておこうかな。

自我の芽生えですな~