イライラやモヤモヤは

自分がその事象に

意味付けをしているから

起こる。


これ、あーこれだ!!

っていう実体験した。





数日前、旦那の子どもたちに対しての

言葉づかいが気に入らなくて、

それやめてって話した。



子どもが遊んでほしくて

旦那に近づいたら

足を踏んだの。


痛いのは分かる。

でも、「いてぇ!!くそ!!」って。

「もうなんなん??」って。


うちの子達はちゃんと謝れる。

長女も踏んだって分かって

直ぐごめんって言ってた。


でも、あからさまに

クソっていってムカついてた。



数分後、

同じように次女が近づいてって足を踏んだ。

その瞬間ぶちギレ。

「まじクソ!もうムカつく!」って。



瞬時に次女は大泣きした。



「ねぇ、その言い方考えてよ。

それじゃ謝るにも謝れんよ。

怖いだけ。躾でもなんでもないよ」


って、私も言いながら

娘たちに優しく伝えてくれない

旦那に悲しくなって泣いた。



私も確かにムカつく!とかバカなの!?

とか言う。


だから、私に合わせてるって

言われても仕方ないかもしれない。


でも、恐怖を与えるのは違う。


私が言うのは愛情をもって、

笑える範囲でしか言わない。

って決めてる。

感情に任せて言わない。痛くても。



だから、旦那から

私を責められたとしても納得はしないし、

それとこれは違うって思った。


大人として親として接してほしい。って。

だから、本気で、

私一人で育児した方がいいのかも

って考えがよぎった。


その日はそのまま会話なく、

お風呂も私が三人いれて、寝かせた。


子どもたちが寝たあと、

一人起きて洗濯して明日の準備して、

ふと、旦那が夕飯の時に飲んだ

チューハイの缶が

洗われるでもなくそこに置いてあった。


見た瞬間、ムカつくなって思った。


けど、

ちょっと待って、視点を上げてみて。




そう、あれはただのチューハイの缶。


あれがあそこにある、それが事実。

それだけ。



あの缶を見て私がイライラするのは、

あの缶への意味付けのせい。


旦那が飲んだものを

洗いもせずに置いている、

しかも子どもたちに

イカツイ言葉を投げ掛けたあの旦那が。


っていう意味付けが、

私をイラつかせてるんだって気づいた。


あのチューハイは何の意味もない。

あるのは、ただそこにある、

という事実だけ。


私がイラつく原因と

そこにあるそれたちは、

何にも関係がないってことに気づいたら、

その缶を見ても

何の感情も沸かなくなった。



旦那に対してのイライラも消えた。



目の前に起こる事象を、

どう意味付けするかによって

私たちは自分の感情をコントロールできる。



例えば、お金が足りずに

買いたいものが買えない、

という事実に、


これまでは、情けないとか苦しいとか

惨め、という意味付けをしていた。


でも、それをただの事象、ととらえ、

そこに「次の楽しみができた」とか

「今はそのタイミングじゃないのか」とか、

「もしかしたら、もっと良いものに

出会えるのかも」みたいな

意味付けが出来たら、


自分責めもしないし、

情けなくなることもない。




結局、自分を惨めにしているのは、自分。

世界を生きづらくしているのは、

自分が起こること全てに

生きづらくなる意味付けをしているからなんだ。



突然ゴムが切れたら不吉、、

と言う人もいるし

いいことが起こるサインかも!

って喜ぶ人もいる。



どんな意味付けをしたら、

喜べるかを考えたら

人生イージーモードじゃね?



なんも嫌なことなんかないんだな!!