どうしても今年の最期にこれだけは書き残しておきたくて、まあ、こんな押し迫った深夜に書かなくてもいいんですが、どうしても今年中に書いておきます。
今年亡くなった父は、長らく暮らした東京を離れて、幼い頃を過ごした宮崎に移住したのですが、
移住してすぐ「あの友人に会いたい」という思いに駆られ、居ても立っても居られなくなり、その方を探しました。
その友人は父の中学校の友人で、
父と同じ中学を卒業してから自衛隊に行った、という情報しかなく、
父は、友人が入隊したと思われる自衛隊の駐屯地(というのが正しいのかわからないのですが)、なんせ宮崎の自衛隊に連絡し、「昭和〇〇年入隊の〇〇くんはいまどうしておられるか?」と尋ね、「もしご迷惑じゃなければ連絡を欲しい」と伝えたようなのですね。
いや、ご迷惑でしょう。そんな何十年も前の話。
きっともうその方も年齢的にもとっくに自衛隊を辞めていらっしゃるだろうし、尋ねられた自衛隊の方だって任務でお忙しいでしょうに、
突然連絡を寄越した謎のおじいさんのお願いを、
なんと日本の自衛隊は本当に素晴らしい。父の拙い情報から、その方を探し、連絡を取ってくれたそうなのです。
それで父とその友人は、15歳で別れてから、65年の月日を経て、再会することが叶ったのです。
それから父が亡くなるまでのたった1年半だったけど、
お野菜を届けてくださったり、いっしょに桜を観たり、お散歩をしたり、
私たち娘から見ても、会えなかった時間を取り戻すように、とてもいいお友達に再会できて、父は本当にうれしそうでした。
葬儀の日。
その方は通夜も告別式も、
ただじっと黙って、父の遺影を見つめて座っていました。
長年自衛隊に務めた方にふさわしく、背筋を伸ばし、じっと父の遺影を見つめ、何も語らず、何も話さず、ただそこにいてくださいました。
どれだけ心強かったか、私たち家族の気持ちを察し、火葬場まで来てくださり、
それはお骨上げの時でした。
父のお骨上げをしているとき、
ずっと黙して語らなかったその方が、
直立不動で、なんとも美しい立ち姿で、「ふるさと」を歌いだしたのです。
童謡の「ふるさと」です。
でも私たちが思いつく「ふるさと」の歌詞ではなくて、
ああ、そうか、これは3番だ。
「ふるさと」の3番の歌詞だ。
こころざしを はたして
いつの日にか 帰らん
山はあをき ふるさと
水は清き ふるさと
お骨上げの間、ずっとその方は「ふるさとの3番」を歌ってくれました。
ただすすり泣きしか聞こえないその焼き場に、「ふるさとの3番」だけが響き渡っていました。
東京で仕事をして、人生の最期をふるさとで過ごした父の、思っていたよりもずいぶん短かったけれど、父が最後に過ごしたかった場所、ふるさとである宮崎を歌ったようなその歌詞に、私たちが涙が止まりませんでした。
深川さん、ありがとうございました。
最高のお骨上げで最高のお見送りでした。
父も大喜びで一緒に泣きながら歌っていたと思います。
本当にありがとうございました。
友達っていいですね。
年末押し迫る先日。
その方のお孫さんの大学進学が決まったと聞きました。
その大学は私の甥っ子、父の孫が今通っている大学で、同じ学部でした。
孫同士も、学友になるわけですね。
なんて運命。
友達って、いいですね。