通勤電車の中でコナン君の広告を見た

夏休みのイベントでお台場に『コナンランド』が出来たそう。

 

今の私なら「ふーん…」で終わってしまうけれど

これが子供の私ならどうだったんだろう?と思うと、

全力で「遊びに行きたい!」になっていたと思う。

 

もし子供の私が親に「行きたい!」と言っても

私の親は行かせてくれなかったと思う。

そもそも親は私の好きなものに興味が持てなかったと思うし、

お金のかかる遊びなんてさせてくれなかった。

 

そうか、親は当時の親の目線で物事を判断していたんだよね。

私の気持ちに寄り添うことなんてしなかった。

だから私は親がOKを出しそうなものを選んでいたんだな、と。

 

 

ということは、

私の判断基準は親の目線(価値観)

だったのだ。

 

 

20歳を過ぎれば自分の生き方について自我が出てくる。

そこに子供の頃からの刷り込みである

親の価値観で物事を判断している自分がいる。

もっと自由になりたい自分と親の価値観で生きる自分。

シーソーのように揺らぐのは当たり前だ。

 

子供の頃から親が自分の考えに寄り添ってくれたら

今はもっと自由に生きられたんじゃないかって思うけれど

もう過ぎ去ってしまった過去はどうしようもない。

これから自分がどう生きたいかを決めていったらいい。

揺らぐ自分もそのままでいい。

少しずつ自分の価値観に沿った生き方ができれば

数年後にはのびのびと自分らしく居られる。

 

なかなか変えることができないって思っていても

見えない力が強制的に人生を動かすこともある。

その時が来たら腹を括ろう。

 

親の価値観で生きることを選んだのは自分でもある。

親のせいにばかりすることはできない。

自分の人生は自分で選択していかないといけない。

 

私も私らしい生き方を模索中。

今できることを精一杯やっていこう。