延岡市医師会主催の「第20回地域医療ネットワーク連絡協議会」に参加しました。
医療や福祉、介護、行政に関わる多くの職種が集まり、ともに学び、ともに考え、ともに議論し、ともに飲み食いもする交流の場です。
私も数年前までは医師会の理事として、この会を担当していました。
今回は、コロナ禍以降久しぶりの対面&オンライン&懇親会開催です。
今回のテーマは、「介護施設の終末期医療(看取り・救急搬送)と法的リスク」ということで、弁護士の高山先生が、事例を交えながら分かりやすく話をしてくださいました。
まず、看取りに関する明確な法律は整備されていないとのことでした。
そのため、判断や対応が現場に丸投げされている現状があります。
「安楽死」には、「積極的安楽死(死なせるために何かをする)」と「消極的安楽死(死なせるために何かをしない)」があります。
これまでの実際の裁判例を紹介しながら、法的な考え方や判断基準について解説していただきました。
最も重視されるのは、患者「本人」の意思です。
たとえ家族であったとしても「他人」であり、家族の意向は重視はするものの、法的には本人の意向が優先されます。
その本人の意思も、施設入所時と、終末期を迎えた時にも同じであるのかどうか、絶えず「最新の意向」を確認することが必要であるとのことでした。
また、本人の意思がはっきりしない場合は、「疑わしきは患者の利益=生命の維持」という考え方を優先させなければならないとのことでした。
ここには、私は少し違和感を感じました。
実際の現場では、若年の末期癌や難病患者でない限りは、ほとんどが超高齢の認知症患者です。
本人のはっきりした意思確認は難しいのが現状です。
その中で、「生命の維持」こそが患者の利益であるという立場に立つと、死ぬまで経管栄養や点滴を行い「死なないための医療行為」を行うことが「正義」とされてしまいます。
この点について、私も質問をしてみました。
「延命治療についての意思表示がはっきりしない患者さんに対し、経管栄養や点滴を施行した際に、自己抜去されることがある。生命の維持を優先させ、押さえつけたり抑制(手縛り)したりしてでも治療をするべきなのか?」
「家族が”とにかく死なせないでくれ”と言う場合、本人に侵襲のある医療行為でも継続させるべきなのか?」
弁護士の先生からは、「悩ましいが、法的にはそのように(治療継続)した方がよいということになる」とのご回答でした。
過去に、「治療行為を中止して死に至った場合に有罪になったケース」はあっても、「治療行為を継続させたことで有罪とされたケース」はないとのことでした。
なるほど・・・。
これだと、現場としてはリスクを回避するために、とりあえず延命治療をしておけばいい・・・という考えになりますよね。
しかもその方が診療報酬も入ってくるし、本人や家族の意向がどうであるかの、めんどくさい意思確認の話し合いの時間を確保する必要もない・・・。
家族も、「精一杯の医療行為をお願いした」というアリバイもできるし自己納得もできる。
なので、(もしかしたら本人が望んでいないかもしれない)延命治療が行われやすい。
そして、一度開始した医療行為を中断することも難しい。
私も日々現場で悩むことです。
しかし、そこにこそ終末期に関わる医療の醍醐味があり、本質があります。
「患者の利益」とは何か?
患者さんの「真の想い」とは何か?
法的リスクを回避するために最も大切なのは「信頼関係」であろうと思います。
信頼関係を構築させるためには、手間も時間も掛かります。
その手間暇を掛ける中で、「患者さんの(真の)利益」を模索する作業の繰り返し。
これに尽きると思います。
大変勉強になりました。
弁護士の高山先生、ありがとうございました!
もっとたくさんの人に参加してもらいたいな!
医療法人あつきこころ 大貫診療所(外科・内科)
理事長・院長 榎本雄介
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