椎葉クニ子さんが亡くなりました。

御年99歳。

最後は老衰とのこと。

まさに大往生でしょう。

 

椎葉クニ子さん死去 椎葉焼き畑農業守る 99歳(宮崎日日新聞) - Yahoo!ニュース

 

ここでは「クニ子ばあちゃん」と書きます。

 

クニ子ばあちゃんとの出会いは、私と妻が結婚する直前でした。

何気なく見た旅行雑誌に載っていた、人のよさそうなじいちゃんばあちゃんが経営する「民宿 焼畑」の写真を見て、「田舎でのんびりしたいな」と思い、2人で泊まりに行きました。

 

民宿のある、向山日添地区は、椎葉村の中心部からさらに1時間ほど山道を登った所!

「ほんとにこの道でいいの・・・」と思いながらようやくたどり着いた先には、築100年の古民家がありました。

宮崎県立博物館の民家園にある「椎葉の家」が、現役で使われていることに驚きました。

一部廊下は傾いていたけれど・・・。

 

出迎えてくれたのは、秀行じいちゃんとクニ子ばあちゃん。

実直で、優しさを絵に描いたような秀行じいちゃん。

働き者で頭の回転が早く、おしゃべり好きなクニ子ばあちゃん。

 

驚かされたのは、クニ子ばあちゃんの博識ぶりです。

山の植物のこと、自然のこと、風習のこと。

これが食べられる、これはこうすると美味しくなる、これとこれはこうやって見分ける・・・。

夕食で振る舞ってくれた「わくど汁」も美味しかった・・・。

 

自然や植物に対するクニ子ばあちゃんの知識は、専門家も認めるほどだそうで、たくさんの科学者や民俗学者・植物学者が教えを乞うためにクニ子ばあちゃんのもとに通っているということを、この時初めて知りました。

 

そして、「焼畑農法」のことも初めて知りました。

山に火を入れ、その熱がまだ残るうちにソバの実を捲く。

75日でソバを収穫した後は、2年目はアワやヒエ。

3年目はアズキ。

4年目は大豆。

 

そしてその後は25~30年ほど放置して、森が再生するのを待つ。

そんな風にして山を順番に焼き、育て、再生させていくことで、循環する社会を延々と続けている。

この農法の原点は、縄文時代にさかのぼるというから驚きます。

 

「自然とともに生きる」とよく言われます。

その本質がここにある・・・と感じ、その後の私の生き方の奥深くに息づいています。

いま流行りのSDGsのような、安っぽく商業ベースのものではない。

 

クニ子ばあちゃんとは、ほんの一日の出会いでしたが、忘れられない出会いになりました。

結婚式でも、民宿の前で撮ったお二人との写真を上映しました。

 

結婚し、子供が生まれてからも、一度民宿焼畑に泊まりに行きました。

すでに秀行じいちゃんは亡くなり、民宿の経営は息子さん夫婦がなさっていました。

でも、クニ子ばあちゃんは元気でした!

 

うちの長女と長男を、とてもかわいがってくれました。

 

そのクニ子ばあちゃんが、とうとう亡くなった・・・。

寂しいけど、ばあちゃんは天国で秀行じいちゃんとの再会を喜んでいるかな。

 

椎葉には、私たちが忘れかけている「生きる」ということ、「暮らす」ということの原点があります。

あの場所が、いつまでも息づいていてほしい。

そして、またいつか行ってみたい。

 

ありがとう、クニ子ばあちゃん。

どうぞ安らかに。

合掌。

 

医療法人あつきこころ 大貫診療所(外科・内科)

理事長・院長 榎本雄介

http://www.atsukikokoro.com/

Twitter:enomoto197489

「覚悟の瞬間」インタビュー動画:https://www.kakugo.tv/person/detklr5zb.html