大相撲の関脇霧馬山が、大関に推挙されました。
それに合わせ、四股名を「霧島」に改めることも発表されました。
「霧島」は、師匠の陸奥親方の現役名です。
この改名は、全く予想していなかったので、正直驚きました。
「霧馬山」という四股名も、彼によく似合ったいい四股名だと思っていましたし。
でも、懐かしい四股名、立派な四股名が復活することは嬉しいですね。
私は、この元大関霧島の陸奥親方に感謝していることがあります。
子供の頃から大の相撲ファンだった私は、中学2年生の時に、家族で宮崎巡業を観に行きました。
チケットは、私がお年玉をはたいて、家族4人分を購入しました。
確か1人8000円、4人で32,000円だったと記憶しています。
その時に、当時平幕だった霧島関にサインをいただき、大切に持っていました。
延岡での開業を決めた際に、亡くなった先代東関親方(当時潮丸)に、「延岡で相撲の合宿をしてよ!」と提案し、快諾してもらいました。
その時の私の頭にあったのが、「陸奥部屋の新富町合宿」でした。
これをヒントに、「東関部屋延岡合宿」を思いついたのです。
新富町で合宿していたのが、元大関霧島の陸奥親方率いる陸奥部屋でした。
さっそく陸奥部屋新富合宿実行委員長の長友猛さんに連絡を取り、合宿についてのノウハウを教えてもらおうとご挨拶に行きました。
その時にお土産として持って行ったのが、私が中学生の時にもらった、大関になる前の霧島関のサイン色紙だったのです。
額に入れてお持ちした色紙を見て、長友さんはとても喜んで下さいました。
そして、「気に入った! よし、延岡の土俵は俺が造ってやる!」と言って下さり、実際に新富町から土を運んでくださって、西階運動公園内に立派な土俵を造って下さいました。
この長友さんが造って下さった土俵で、10年にわたり東関部屋の合宿を開催することが出来ました。
東関部屋延岡合宿のルーツは、陸奥部屋新富合宿であり、そこに陸奥親方(元霧島)のサインが力を与えてくれたのです。
ひとつの出来事が、思いもよらない形で繋がっていく、まさに「ご縁」を感じます。
その新富合宿で猛稽古をし、力を付けて大関に上り詰めた「新大関・霧島」関。
今度は大関として新富に来ていただき、さらなる極みを目指して稽古に励んでいただくことを期待しています。
願わくば、東関部屋からもこんな風に関取を輩出したかったんですけどね。
叶わぬ夢となりました。
しかし!
この先も、どんなご縁が、どこでどう繋がっていくか分かりませんからね。
またいつか、延岡にお相撲さんを呼びますよ。
必ず・・・。
*「サンクチュアリ=聖域=」の最終話には、延岡合宿に最初から最後まで参加していた、元十両の華王錦も出演していましたね・・・。
医療法人あつきこころ 大貫診療所(外科・内科)
理事長・院長 榎本雄介
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