前から行きたいと思っていた、北川町俵野(ひょうの)の「西郷隆盛宿陣跡資料館」と、天孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の墓とされる「可愛(えの)山陵」に行ってきました。


西郷隆盛資料館では、大河ドラマ「西郷どん!」でも描かれていた、陸軍大将の軍服を燃やした場所や、戦いの終結について話し合う様子を再現した等身大の人形などを興味深く見ました。

また、当時の人達が書いた手紙も複数展示されていましたが、その筆使いの見事なこと!

その筆跡を見ただけでも、当時の人達の教養の高さが窺い知れます。


そのような人達が、まさに決死の覚悟で戦いに挑み、最後はここ俵野に集結したのです。

あれだけの猛者達が、自分達の命を捧げるほどの西郷隆盛という人物はどれほど魅力的だったのだろうか…と思いを馳せました。



その西郷隆盛資料館の北側に「可愛(えの)山陵」は佇んでおり、初めて遥拝することが出来ました。


明治政府が比定した瓊瓊杵尊陵は、現在鹿児島にあります。

が、ここ北川の可愛(えの)山陵は、古くから瓊瓊杵尊の陵としての言い伝えがあり、「宮内庁陵墓参考地」とされています。


西郷隆盛がここに陣を張ったのも、天孫の霊力にあやかろうとしたからとも、官軍が陵墓に向かって鉄砲を撃つことが出来ないことを見越しての行動だったからとも言われています。

これを延岡市では瓊瓊杵尊と西郷隆盛の「時空を超えた出逢いの聖地」としてPRしています。


円墳と思しき陵は、素朴に、しかし確かな存在感を持って佇んでいました。

この陵の周辺には、神話にちなんだ地名がたくさん残されています。

俵野(ひょうの)も、もとはコノハナサクヤヒメが火を放ったことにちなむ火生野が転じての地名とされています。

その子ホオリノミコトが産湯をつかったとされる祝子(ほおり)川や、イツセノミコトにちなむ五ヶ瀬川などなど、枚挙にいとまはありません。


日本書紀にも「筑紫日向の可愛(え)の山陵に瓊瓊杵尊を葬りまつった」と書かれており、この北川陵墓参考地こそが、真の瓊瓊杵尊陵だと確信します。


時空を超えた出逢いの聖地である可愛(えの)山陵に、令和の「エノ」が立つ…。

なんとロマンを感じるではありませんか…😆




医療法人あつきこころ 大貫診療所(外科・内科)

理事長・院長 榎本雄介

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