おはようございます
今日は娘が帰ってくるそうです
ちょっと緊張感でピリつく私
夕ごはんは美味しいもの作ります
3月の初めに義父が亡くなって、
だいぶ経ってしまいましたが、
葬儀の日のことを記しておこうと思います。
亡くなったとき。感じたあれこれ。
亡くなってから葬儀の準備とお通夜まで。
葬儀の日。
明け方にに小雪がチラつく予報でしたが、
5時。目覚めたら、大雪
車は無理電車で行こう
と、支度しているうちに、
家を出る頃にはみるみる溶けました
車で行けて良かった
義姉たちは義母の施設に寄ってくるので、
それまでは夫と私であれこれ。
私の両親も栃木から来ました。
遠くにうちの子たちを見つけて
息子のことを「えあれ誰」
娘とは去年会っていましたが、
息子とは5〜6年ぶりかも。
身長も20センチくらい伸びて、
顔や髪型も少しは大人っぽくなったので。
私も夫も、親族はみんな背が小さくて。
173cmと159cmの標準の私たちが
背が高い〜って言われてる
180cmの息子と165cm近くある娘は、
全員 50代以上の小さい人 の中で目立つ〜
ご住職は、私たち夫婦よりも少し歳上かな
落ち着いてるから歳上に見えるけど、
実は年下かも
すごく物静かで優し〜い雰囲気の方です
菩提寺の庭は、庭師だった義母の父が
お手入れをしてたそうです。
今まではお寺に行っても義父母がいろいろしてくれて、私たちは何も…だったけど、
今回初めてご住職といろいろお話しました。
義母から「大きな声で話すのよ」
と言われた喪主の挨拶。
夫は国語が致命的壊滅的苦手なので、
原稿を添削してほしいと言われました
夫の話したいことを話してほしいので、
内容に関しては、一切いじらず。
日本語としておかしいところだけ直しました。
(めちゃくちゃたくさんあったよ)
…って、私も完璧に正しい日本語ではないけど
ここ大丈夫かなっていう嗅覚は働くので。
スマホで調べながらね。
スピーチとスカートは短い方がいい(不適切)
でも、夫はわりとしっかり長く話すんです
妻の口から言うのもなんですが、
胸にグッとくる、いい挨拶だったと思います
1箇所、私に直された言い回しが出てこなくて、
言葉に詰まってたけどね
ちなみに私は、
夫が国語が苦手なところも可愛くて大好き
よくそれで社会人やれてるねとは思うけど
その挨拶の中で、
「父は思いを言葉にするのが不得意で、
母に『ありがとう』とか『愛してる』とか
伝えているのを聞いたことがなくて、
母のことを愛しているのか心配になった。
(結果 愛していた というところに着地)」
みたいなことを話したのだけど…
ご参列の皆様から、
「…てことは、〇〇君は りのちゃんに
『愛してる』って言ってるんだ〜」
って思われたことでしょう
(思われないか自意識過剰)
精進落としは、
義母、義姉夫婦、わが家の4人と、
夫のいとこ2人と義父の友達2人。
この義父の友達が、とんでもないワル爺で
80代とは思えないくらいお元気
お二人とも60代で奥様を亡くされ 一人暮らし。
見た目はシャンとしているし、
会話も年寄りくさくなく面白いし、
今も自営でお仕事されていて、
夜な夜なスナックとかで楽しく飲んでる
以前の記事に登場した、ケガをした友達と、
義父の4人で、若い頃から仲良しで、
しょっちゅう飲み歩いてたのね
そんなわけで、このワル爺2人から、
義父の話をたくさん聞きました。
ちなみに、ケガ友と義父は普通の80代。
ヨボヨボのおじいちゃんです。
「Kちゃん(義父)が区民農園借りてさ。
野菜作らねーでゴザ敷いて、
昼間からTちゃん(ケガ友)と酒飲んでんだよ。
俺たちも誘われたけど仕事あるから。
そしたら区役所の人に怒られてよ。
次の年の更新はダメですとか言われてんの」
そんな話、初めて聞いた
「Kちゃんを飲みに誘うと
Hちゃん(義母)が怒るからさ。
Hちゃんが電話でたら黙って切るの」
ワル〜
確かに、義父はマメに家電に出るんですよね。
義母が足が不自由だから、
なんだかんだ言って優しいよね。
…って思ってたけど、
飲みの誘いに乗るためだったのか
「Kちゃんちの前通ると、
しょっちゅう外で酒とか汁粉とか飲んでてさ。
缶持って帰るとHちゃんにバレるから、
ゴミの日まで木に突っ込んでさ。
缶がいっぱいでクリスマスツリーみたい」
この話、私はずっと前に義母から聞いてて。
(結局義母にバレてた)
夫は知らなかったのでビックリ
夫はここ数年、時々庭の手入れしてたけど、
木から缶が出てくるから、
イタズラされてるのか心配だったそう。
「お父さんだったのか」と、爆笑
てか、義父…お酒やお汁粉
夫が言うにはネクター(懐かしい)も。
糖尿 治す気全くないな
他にもいろいろ聞いたけど…
当たり前だけど、
義父にも若い頃があって、
家庭の外にも世界があって。
友達とバカ騒ぎしたり、
ちょっと悪いことしたり、
楽しい人生だったんだな〜と。
義父という1人の人間を少し知ることができて、
すごくいい時間でした。
亡くなってからその人を知っていく。
生きているうちに、
もっと向き合っておけばよかった。
まるで「葬送のフリーレン」みたいです
食事の後、子供たちは電車で先に返して、
5人(義父の遺骨もだから6人)で自宅へ。
義母は1月に入院して以来、2ヶ月ぶり
すごく饒舌で元気
もちろん、義父を見送って悲しいと思うけど、
葬儀が無事に終わってホッとしたのと、
久しぶりのわが家が嬉しいのと。
その姿を見たら、今後ずっと施設で過ごすのは
かわいそうかなぁ…とも思うけど、どうかな。
義母のことも経過をみながら考えないとね。
そして、実家で解散。
義姉夫婦は義母を施設へ。
私は夫と2人になり、急に我に返る。
「明日、初出勤だ〜」
初出勤の2日後には娘の引っ越し。
その2日後にはチャアがわが家にやって来た
その2日後には娘の大学の卒業式
そんな感じで、怒涛の3月前半でした