涙の電話 | ★ママで社長でカメラマン★ATSUの日々

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☆*未婚のシングルママから社長ママにo○☆

妊婦写真を全国へ広めた現役フォトグラファー
ATSUのBlog

ちょっとせつなーい雰囲気になるかもなんで、

そんな気分を避けたい人や、

興味ない方はスルーをお進めします

今読み返したらめっちゃ長文やし、、、、、、、(-"-;A




で、


あのですね、、、、



今日





この前他界した、


ぱぱの昔からの友人で、




私がこのまえ愛媛にいた3日間付きっきりで支えてくれた方が




泣きながら私に電話してきたんです。






ぱぱの携帯番号が残ってたから、




ついつい出ないとわかってて掛けてしまい、




涙が止まらなくなって代わりに私の声が聞きたくなったみたい…






かわいいよね、笑






嬉しかった。








私も同じ気持ちだから、




こうやって泣いてくれる人が他にもいて、




ほんとに喜んでると思う。





最近はたまにしか会わなかったみたいだけど、

ぱぱとは、長いこと付き合ってた人で、



なんと


あたしが5歳の時から付き合ってたらしいんやけど

これ母には秘密です笑



私も小さいころに数回会った事があって、



別居期間長かったしさ、


初対面のときから

気さくで

裏表がなくて明るくて

ちょっとかわいいお馬鹿さがあって笑


すごく気が合う大好きな人でした。





こんな人がママだったら楽しいだろうな~、って思えるほどで、




当時は本当に家を出てそこで一緒に住みたいと思ってた。



10才くらいの時かな~、



母が悪いわけじゃないけど、




ほんとになんか


一番私への八つ当たりや体罰がひどかった時期だったし、




一秒も家にいたくなかったし一日も早く家を出たかった。

かといって夜遊びや家出とかは一切なく、

(※田舎はそういう人ってださいヤンキーしかいないのよ笑)


ひたすら家にいたくなくて図書館や部活や地味なボランティア作業に立候補してた気がする。


そういうことしてると親に怒られないし、っていうせこい考えもあったけど、


没頭出来るダンスに出会ってからは、


中学高校と夢中になって、


ダンスの強い高校に入るのにたまたま偏差値も足りて、


おかげで素敵な仲間に出会えて幸せな高校生活が送れた。


その高校生活も、


ダンスに反対な母親の陰で、


ダンスは身体にいいしスタイルよくなるからいいぞ!!!
↑ただのスケベ親父叫び


って賛成して応援してくれてたのはパパだけだった(笑




どんなに頑張って、

県大会で優勝しようが全国大会に出ようが、

母は一度も試合を見に来なかったし、

全国大会で予選を勝ち抜いて決勝に残った報告をした時も、

神戸での大会だったから、

「高校生のくせに外泊して家にも帰ってこんのか、ろくでもないな」


って酷い言葉を吐き捨てられただけだった。


感動の涙が一気に悔し涙に変わって、

相当情けなかった…

だから、翌日大会で受賞した時も、

感動を邪魔されたくなくて連絡しなかったっけな、、、、汗



母の心の狭さが恥ずかしくて、誰にも言えなかった汗


この話も初めて人にするかも…

って、いっきに公開してるけど(* ̄Oノ ̄*)


そんな母には、


最後までほめるどころか馬鹿にされ続けたよ。


別に不幸話を披露したい訳じゃなく、

うちの場合、完璧主義すぎて壊れた母がそんなで、

要は、

一緒に住んでる実の親がそんなでも、


誰か一人でも支えてくれたら、人間はやって行けるってことなんだよね。


友達の存在もかなり大きかったし

人間一人では何も乗り越えられないけど、

たった一つの支えがほんとにもの凄いパワーをくれる。


もちろん、親が一番の子供の理解者ではあるべきなんやけど、


私の場合


父とは、ほとんど一緒に暮らしてないから、


親というよりは仲のいい親戚のおっちゃん、って感じだった。


それでも、

母の虐待が続いた小学校高学年、

いじめられ続けた日々や、いろんな嫌がらせやひがみや、

中学時代も女の嫌な部分をいっぱい見たけど、

母が嫌すぎて学校はほとんど休まなかった笑


それに、勉強したら、いっぱいいろんなことが出来るようになる、

お前が住みたがってる海外でも、なんでも出来るぞ、って

楽しみをくれたのも父だった。



うちのダンス部(先輩たちがかなり偉大で)結構強くて


ニュースや新聞を毎日チェックしてるパパは、

必ず母がいない時を見計らって電話をくれた。

試合の翌日


おめでとう、って


それだけ言うために電話をくれた。




ぱぱがもう少し真面目な人で、

家族にお金の迷惑かけなかったとして、


母がもしやさしいままの母でいたとしても、



絶対離婚してただろうし、


きっと私はぱぱと一緒に暮らしたいと思ったんだろうな、って思う。




考え方や、頭のいいところが大好きだったから、、、、、


親子でも、




どうしても人によっては相性があるもんね。




夫婦の仲がいいと、そんなこと気にしないでいいんだろうけど、



親が分裂してると


子供としてはどうしても自分を認めてくれる親といたいもんだし、




今は私も大人になっていろいろ解るようになったけど、

子供の時は

そういう理解は難しい。


正直、

弟がもっとしっかりしていたら、

私はこんなに母の面倒見なくて済むはずで、

私はもっと自由でいれて、

もっと父と時間を過ごせたんじゃないかと

頭の中の悪魔が暴れだして

今でも弟や母を恨みそうになる悪魔



いつも母よりぱぱと住みたいと思っていたし、

お金にルーズで駄目なぱぱでも、

それでも老後は面倒見てあげたいなと思ってた。



娘としての


そんなささやかな希望も

母の理解不足と残念な弟の所行でかなわなかったけど、

結局は自分の努力不足なわけやし、

母を恨まずに済んでいる一番の理由は、

父が母を常に私の前でほめ続けてくれたおかげだろう。


絶対に人の悪口は言わないし、

人のいいところを見るように教えてくれた。



そういう経験のおかげで、




私は子供の前で父親たちの悪口は絶対に

言わないようにしてるし、まずほめる。


生活は別でも親同士が連絡取り合い、

子供が会いたいときにはいつでも行き来出来るよう、

お互いサポートするための理解を高めるように努力をするようにしてるし、

それは親の義務だと思う。


相手もそれを望んでないと不可能なことだけど、

可能性があるんなら、


悔しくても頭下げてでも、TRYしないといけないことだとも思ってる。


子供のため、

親の人生を子供に押し付けてはいけない。


…世間には、子供は十分私の都合で振り回されてる、と思われるかもしれないけど、

私なりの考えと信念で、

常に子供の前で笑えるよう

道を切り開いているつもり。


まだまだ半人前、

まだまだ先は長いけど、


親として、

子供を支えるのは当然として、

何があろうと子供に依存しないぞ、と決めているし、

子供の人生を邪魔したくないと思う。

無限大の可能性を、私はさらに広めてあげなくちゃいけないし



形はどうあれ、

精一杯の愛情を感じてもらえるよう、

素直に子供を愛せるよう、

まず自分が笑って、

自由でいて

死ぬまでそういう女でいたいとおもう。


話がだいぶ飛んでしまったけど、、




私より、母より、

ぱぱと長い時間を過ごした人と、

いまこうやって仲良く出来て、

私はほんとうに恵まれてる。


ぱぱと気が合う人だっただけあってか、

私ともかなり気が合う。

というか、


全く気を使わないでいい笑

まるで他人とは思えないのよー( ̄▽+ ̄*)


人の縁って不思議だ。




来月また愛媛に帰るけど、


父の行きつけのお店で、

父の指定席に座り、


生前の父を親しんでくれた人たちと
(おじいちゃんおばあちゃんばっかりだけどね)

いっぱいお酒を飲んで、

いっぱい泣いて

いっぱい笑うのが楽しみだ。


こんなことになってからだけど、

ぱぱの元カノ(笑

は、

私に出来た新しい家族のような気がする。


大好きな人のことを

隠さずに正直に語り合える、、

素直に泣いて思いっきり笑える


それって、もう家族やんね★


あ、ちなみに

凄く奇麗な人ですよ、年取った今も。


これからも、

弟が社会復帰するまでは母の面倒見るとして(笑


たまに彼女とお酒飲んだり、パパのこと語ったりするのは

許されるだろうか?


母はとっくの昔に離婚してるんだから、


裏切りにはならないと思うんだけど。


ってか、もう気を使うのはめんどくさいや。


とにかく、


好きな人と

故人を懐かしむ時間を持つのは

供養になると思い込んで、、、、、いくしかないよね。


でも、


この出会いも

ぱぱが残した大切なつながりだから、


私は一生大事にして行きたいと思う。






それでは、、、、、、、


こんな長ったらしいめちゃくちゃな文読んでくれた人


早く寝ましょう笑


ほんとに最後までありがとうございました。


おかげでスッキリ明日からまたパワー全開頑張れますアップアップ


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