多文化社会を目指すオーストラリア

アメリカ独立後,オーストラリアはイギリスの流刑植民地とされ,多くの白人が移住した。1850年代のゴールドラッシュで,安価な賃金で働く中国系住民が増加したため,白人以外の移住を制限する白豪主義政策がとられた(1975年完全撤廃)。しかし,経済成長に必要な労働力確保のため,移民政策は多文化主義政策へ転換された。街にはチャイナタウンやギリシャ人街などがあり,ラジオやテレビでは多言語放送が行われている。