$New York サラリーマン駐在日記 by ats

松田直樹が、突然亡くなった。

マリノスから松本に移籍した後も、彼らしさを発揮していたようで安心していたのに・・・
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2011/text/201106100001-spnavi_2.html

まずは心から哀悼の意を表すと共に、彼の今までの活躍と、存在感に敬意を表したい。
34年という短い生涯ではあったが、本当にお疲れ様でした。

で、ネットも見ながら、記憶力のない自分なりに松田の記憶を思い返してみた。

アトランタオリンピック代表に若年ながら招集され、次のシドニーでは中心選手として活躍。
身体能力の高さと、時に危険なほどの攻撃参加、そして魂のこもった守備で若い頃から脚光を浴びた。
「黄金世代」の少し上のスター選手として、CBというポジションながら、ヒデとともに黄金世代以上の存在感を見せていた。

会社の同期が前橋出身で、学校は違うが同学年だったらしく、前橋育英の試合を見たことがあるそうだが、「DFのくせに早えーし、強えーし、怖えーし」と話していたのが印象的だ。(確か子供の頃はFWだったかと)

シドニー代表を骨格にした日韓W杯での活躍は誰もが知るところ。懐かしいね、フラット3。
ジーコとはやたら喧嘩していた印象があるが、そのせいか代表からは次第に遠ざかってしまったのが残念。
代表が発表されるたびに松田が復帰してないか見てたけど、ダメだったなぁ。
岡田の時って、復活したっけ?たぶんできてないよなぁ。マリノスでも早野と揉めてた気がする。

だけど一方で、マリノスが経営難になったり、残留争いをするほど苦しいときでも、率先して減棒を受け入れたり、サポーターの不満を受け止めていたり、「漢」だった。

木村和司は松田のこと好きだったと思うんだけど、クラブが放出を決定、あの時はすいぶんと
サポーターが荒れて大変だったニュースを覚えている。愛されるよな、ああいう人間は。

一方で毒もあるしたまにポカをして失点のきっかけを作ることも少なくなかったから、人によって好き嫌いはあったと思うけど、俺は好きだったな。そんな危うさが。


なんて、薄れている記憶から松田直樹を呼び出している時に、一番鮮明に思い出されたのが、なぜか、2004年のアジアカップで優勝して喜んでいる姿。なんでだろう、わかんないけど。
トーナメントそのものも、中国での露骨な反日と相俟って、ものすごく強烈な印象を残す大会だったからかな。

ヒデが怪我(ブログでは間接的に「周囲と合わない」と言っていて諍いも垣間見られた)の影響で代表から外れて、「黄金の中盤」ではなく中村俊輔のセットプレー頼みの攻撃陣。
確かジーコは、その前のW杯アジア予選の苦戦や、その選手が不調であってもレギュラーを固定する、そして腐ったベンチメンバーのキャバクラ事件もあり、もし早々に敗退したら解任という可能性もあったはず。

そんな中、準々決勝のヨルダン戦のPKでは、俊輔、三都主が続けて外した後に宮本が主審に掛け合ってサイドを変えた後、川口の神懸りセーブで勝ち、バーレーンとの準決勝では遠藤の意味不明な一発退場で数的不利に陥りながらも、後半ロスタイムに中澤の鬼ダイビングヘッドで追いつき、延長では玉田が決めて決勝進出。

国歌斉唱中もブーイング、尖閣諸島問題がバナーになり、物が投げつけられ、笛も若干中国よりじゃなかったかな?それでも冷静にプレーした日本代表は、ほぼ完勝と言っていい内容で優勝。最後の玉田のゴールは最高に爽快だった記憶がある。

確か松田は試合には出場していない。しかもこの後のW杯予選で無断離脱かなにかをしでかして、以降、ほとんどまったく代表に呼ばれなくなったから、代表として大会に挑んだ最後だったかも。

キャバクラ事件の後もジーコは大会中に控えメンバーをうまく使えず(あの神様の辞書にはベンチワークという言葉はなかった)、チームが一丸になりにくい空気がある中、出場する可能性が限りなく低い松田がムードメーカーとなっていたという記事を、当時読んだという記憶がある。

きっと昔から代表でプライド高くて、召集すらなかなかされない状況にきっと不満爆発寸前だったと思うのだが、そんな中ムードメーカーとして完全アウェイのチームを鼓舞し、苦戦の末勝利するたび、すべての選手のもとに駆け寄って祝福している松田直樹。

もともとかっこいい選手ではあるが、あの時の松田、猛烈にかっこよく思えたのを鮮明に覚えている。
ほんとかっこよかったなぁ。坊主頭で、画になった。

追い出されるように松本山雅に移籍後、もちろんプレーは見てないんだけど、スポナビのコラムで
宇都宮さんがたびたび松本を取材していて、もがきながら頑張ってるな、強い男だな、と思って読んでいたが、まさか死んでしまうとは・・・予兆もなかったようだし、あまりにも突然すぎる。

練習場で倒れた際も「あ~だりぃ~、やばいやばい」と言って倒れたとか。
最後まで、男前だったんだ。

現役にこだわってたから、カズみたいに40過ぎても現役やってる姿を想像してたけど、本当に残念。

合掌。




1ヶ月ぶり。

最近はFacebookを頻繁に更新するようになったので、早くもブログ存続の危機?
長文を書きたくなった時だけ、ここに書くことになるかな。。。

ブラインドの件が落着して以来、生活のセットアップに四苦八苦する必要がなくなり、一人の時間がすごく暇になってしまった。

どうでしょうのDVDを観たり、TVでサッカーを観たり、ゲームしたり、というのもだんだん飽きてきて、最近成長が著しいおなかをへこますべく、ビリー隊長の元に再入隊してみたりして。

休日には、ちょっとした買い物と、たまにマンハッタンへ出かけたり、庭で日向ぼっこしたり。

癒しの時間だった家族とのSkypeも、最近は息子が俺と会話してくれず、会話はなくとも画面越しに踊りを披露してくれることもなくなり、むしろ邪魔扱いされて「YouTubeでゴカイジャー見たい!」とわめかれ、「じゃあもう切るよ。。。」という日々。

嫁も、そんな聞き分けの悪い息子にイライラしているし、まだ1ヶ月半の娘の面倒も大変だし、徐々に渡米の準備もしないといけないし、なかなかゆったりとした会話が出来ない。

先週、出張でNYに来ていた、業界他社勤めでサンディエゴ駐在の友人と食事をしたのだが、2月の駐在以来、友人とゆっくり話すのは初めて。同僚とはちょくちょく飲んでも、それはまた別物だからねぇ。嬉しかった。いろいろグチも言えたし、共有できる悩みもあったし。

やはり環境が変わるというのは、いくら自分を前向きにしてみても、ジワジワとストレスが掛かってくるものと思われ、5ヶ月を過ぎて、まだ単身、そろそろ自分の中で鬱積したものを感じ始めた。というより、実は感じていたのだと、友人と話していて自覚した。

まずはやっぱり英語。

セットアップでいろいろ乗り越えて(?)きたので、少しはできるようになっていると信じたいのだが、まだまだ。

特に、聞き取りがまったく向上しない。会話のテーマがわかっていて、相手が丁寧に話してくれて、ようやく会話として成立する感じ。何の話かわからない時(世間話など)や、相手が遠慮してくれない時(会議やお店など)では、いかんともしがたい。

そして、仕事。

東京でしばらく同じ業務をやっていたということもあって、久々の配置転換。
ただでさえ要領を得ないのに、頼れるのは日本人の先輩一人、しかも職場が比較的新しい部署ということもあって、現地スタッフの仕事もそこまで確立されておらず、いや、本人たちの中では確立してしまっているのだが、本当にそれでいいのかと疑問を持つ人がいない、と言った方が正確か、中途半端な内容、間違いがあるのに気づかない、もしくは「今までずっとこれでやっている」と反論されることも。

東京では下っ端のの管理職として「下にもっと仕事を振れ」と言われ、あえてふんぞり返って、部下がテンパるまでほうっておいて途中からフォローするというやり方をようやく覚えつつあったのに、こちらでは、完全に作業屋さん。部下もいないし。

仕事に大きいも小さいもないのかもしれないし、7~8年前くらいの立場に戻った気分で、それはそれで頑張ろうとは思いつつ、まだまったく勘所がつかめておらず、仕事が遅かったり、逆に勇み足をしたり、勘違いしたり、忘れたり、なかなかうまくいかない。。。

かと言って、少しペースを落ち着かせようと思うと、落としたまま孤立しそうなことにもなりかねなかったりして、どう振舞っていいのかよくわからなくなる。

あとは、生活。

やっぱ、一人が長いのは良くない。
例えばもっと異常に仕事に追い立てられていたり、逆に、暇で遊び放題、友達たくさん!なんて環境だったら違うんだろうが、仕事はほどほど、家族も友達もいない、というのが続くのは、きつい。

NYは50数年ぶりに最高気温を更新する暑さ(40℃)があったり、急にひょうが降ったり、異常気象も真っ盛りの短い夏なわけだが、あと2ヶ月の単身生活、どうやって実りのあるものにするべきか。。。

先週1週間、日本に一時帰国。

<目的その1、生まれたばかりの娘に会う。>
小さくて、かわいくて、よく寝る良い子だった。

<目的その2、息子と遊ぶ。>
こっちは大変。ママを妹に独占されている嫉妬心、
ママの入院中実家に預けられたこと、
そしてパパもアメリカにいて遊べないことなど、
いろんな要因が重なって、かなり精神的に不安定で、
わがままになってしまっていた。

入院中の前後も含めて妻の実家にはかなりお世話になっているが、
相当手を焼いているようで、申し訳なかった。

この時期は仕方ないと思いつつ、一度怒鳴りつけてしまった。
それで一度は言うことを聞くようになったものの、
1日経ったらまたおっぱいのたびに「ママだめ~!いや~!」と号泣。
しばらくは続きそう、ママは大変だ・・・。

<目的その3、祖父を見舞う。>
転んで怪我をしたり、新しく病気が見つかったり、
ちょうど俺が日本を離れる頃に急激に弱ってきた祖父。
もう93歳、さすがに独りで生活し続けるのは厳しいということになり、
施設に入ることが決まった。

でも、祖母が亡くなってから約7年かな。よく元気でやってきたと思う。
あとは少し人の世話になって、残りの人生をエンジョイしてほしい。

<目的その4、妹の娘に会う。>
初めての子供を産んで、実家にいる妹にも会った。
妹が母親をやっているというのは、兄から見て若干不思議な感覚だった。

<目的その5、NYでは食べられないものをたくさん食べる。>
やきとり、すし、赤飯、うな重、角煮、コロッケ、スープカレー、
ずんだもち、甘すぎないケーキ・・・
もちろんこっちでもすしなんかはあるし、冷凍うなぎはNARAでも売ってるが、
やはり日本で食べたくなるよねぇ。

今回は家族の状況もあって、外食したのは息子と食べたうな重だけで、
あとはだいたい買って帰って家で食べるものばかりだったから、
今度はラーメンやすきやき、あるいはファミレスとか、食べに行きたいな。