10年日記アプリからこぼれ出てきた記録。
言わずと知れた世界のベストセラー「夜と霧」。
オーストリアの精神科医であるヴィクトール・E・フランクルが、ナチスの強制収容所での壮絶な体験を綴ったものです。
ずっと読みたいと思っていたこの本を私が読んだのは、病気が発覚してすぐの頃でした。
日記に書き写していたフレーズを紹介します。
「まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ。」
「生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。」
「人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげるかどうか、という決断を迫られるのだ。」
病気のこととナチスの強制収容所での話とを、一緒に語ってはいけないのだろうけれど、読んでいてどうしても重なってくるものがあった。
大きな大きな理不尽に巻き込まれたことを、共通点と言ってはいけないだろうか。
その大きな理不尽の中で、強かったのは生きる意味を見失わなかった人だ。
そしてどう生きるかを決めるのは、誰でもない自分自身だと、この本は言っていると思う。
私は自分のこの人生において、「逃げない」ということに取り組まなければいけなかったのではないかと思っています。
病気がわかる前までの人生には、逃げ癖がついてしまっていたと思うから。
辛いことからは、いつも結局逃げていた。
肉腫になって、そもそも病気からは逃げられないわけだけれど、それに向き合う中でもいくつも逃げそうになる場面があった。
2度目の抗がん剤のときもそうだが、その最たるものは、今年6月の骨盤内臓全摘術だ。
うまく伝わるかどうか。
この手術が根治を目指して行われるものではないことを、私は十分承知していた。
それなのに、その手術で失うものはかなり大きかった。
通常の排泄は一切できない身体になる。
不自由もきっと多いだろう。
蓋を開けてみたら、それにとんでもない痛みまでくっついていた!
でも、悩んで悩んで悩んで悩んで悩み抜いて、最後は逃げない選択ができた。
ここまでは治療だと思えるところまで、しっかりやり切ることができたと、ものすごく納得している。
そこで逃げなかったからこそ、今度はすっぱり無治療の選択もできたのだと思っています。
なんだか小難しい風のことを書いてしまった。
意味も伝わらないかもしれませんが、今の心情の記録です。
肉腫や癌に苦しみ、その辛い治療に立ち向かう人たちは、それだけで既に精神的になにごとかを成し遂げているのです。
すごいぞ、がんサバイバー。
えらいぞ、がんファイター。