ぶんぶくちゃがまとたぬき鍋

ぶんぶくちゃがまとたぬき鍋

あとらの私生活とか、愚痴とか、悩みとか、プロレスとか

人生に失敗がないと
人生を失敗する
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精神面に落ち着きがない、余裕が無い、ゆとりがない。
とか、そういう感じの圧迫感が、もう毎日かれこれ何年経つだろう、随分長いこと続いている。

自分に自信が無い故に慎重になりすぎたり、警戒しすぎたり、不安に駆られすぎたりする。

間違いなくいい傾向ではないし、わかっているなら変わればいいというのも良くわかる。
良くわかるが早々歳と凡そ同じだけの期間抱え続けてきたものが簡単に変えられるものではないというのも、事実で。

それが至る所で誤解を招いたり弊害になったりする。

毎晩頭の中には、たくさんの声が聞こえる。
否定的な言葉、侮辱的な言葉、軽蔑の言葉、その他色々ありとあらゆる否定や圧の声が毎晩、本当に毎晩聞こえてくる。
もはや幻聴というにはハッキリしすぎていて、どこから聞こえたのか部屋の中を見渡すところまで来ていて、正直なかなかキツい。

生きる上で、生活趣味仕事自由な時間その他諸々何かをするにあたって、セオリーはあれど個人差もあるものだと私は思っていたが、それすらも甘えなのだろうかと思う。

頭の中がたくさんの情報とたくさんの課題とたくさんのプレッシャーとたくさんの意欲とたくさんの恐怖でいっぱいで、身体が弾けてなくなりそうな時がある。

こうして字にして形にして吐き出さなければ心が持たなくなる。

私は今こういう状態だ、何を考えてどんな感情でどうしたいか、そう出来ない理由原因はなんなのか
頭の中からアウトプットして行かないと容量を超えて心が死にそうになる事がある。

だから、書き連ねても支離滅裂で、凡そ理解のできない文面だけれど、文字に起こすことでなにか安定するんじゃないか、なにか見つかるんじゃないかと期待する。

期待する中で今度は否定的な声が頭の中に聞こえてくる。だけど閉じこもって溜め込んでいては間違いなく心が死ぬのも自分の事なのでわかっている。
堂々巡りになっている。

24時間で限られた短い一日の中で、どれをどう処理すればいいのかわからない。

私が喋る時本当に私が喋っているのかわからなくなる。
酸素が脳に回っていないなと感じることもしばしばある。


みんなそうだ、みんないろんなことを悩みながら誰にもこぼさず人前では笑って生きてるんだ。ブツブツ垂れ流すんじゃない。

と、言われるような事なのだろうが、我慢をすることで出てくるメリットはなんなんだろうか。
吐き出すことで起こるデメリットは「見た人が不快になるから」「自分の周りから人が離れていくから」なのだろうなとは思う。昔からこんな話題は至る所で見かけた。もちろん一理あるし理解してる。

ただ、どう足掻いても吐き出すことでしか心を落ち着けられない時はどうすればいいのか、誰も教えてはくれない。
当たり障りのないよくあるリラックス法と呼ばれることを投げつけられるだけだった。

そんなこと、とうの昔にやり尽くしてしまった。
音楽を聴く、散歩する、趣味に打ち込む、歌う、旅をする、買い物をする、美味しいものを食べる
全部やり尽くした。
何も変わらなかった。微塵も精神状態が変わらなかった。
そんな時はどうしたらいいのかわからない。
無気力な所に不安定な精神状態なのが、本当にどうしようもなくきつい。

どうにかしてくれと言いたいわけじゃない
こんなもの誰かがどうにかできるものじゃなくて自分がなんとかするべきものなのは私が1番わかってる。

ただ、毎晩が怖い。
無音の、無表情で過ごす夜の環境が怖い。
すぐに寝たいのに何かが寝かせてくれない。

四六時中緊張状態で過ごしているような気持ちだ。

何もかもを放棄しそうになる。
でも今私が自分の意思で続けている絵とプロレスだけは、何があっても手放したくない。
絶対に手放したくない。真剣に打ち込むと決めたこれだけは絶対に手放したくない。

これまで無くしたら私が私でなくなる気がする。

生き方がわからない。

ぬるい理想と笑われればそれはそうなのだろうし

それが難しいことも承知しているけれど

 

知識もまだまだなくって

体も全然まだよわっちくて

技術もまだまだポンコツで

恥ずかしいことたくさんあるけれど

大好きなものを大好きだと言い続けて

できる限りの練習して

そんな毎日が私は今幸せで

 

10年前の私が見たら、驚くだろうと思う。

集団行動にもう嫌だと思うほどロクな思い出がなかったのに

私にプロレスを教えてくれた旦那

練習生からデビューを迎えて今もなお練習場に行ったら

たくさん教えてくれるいろんな団体の人達

今所属として仲間に迎えてくれた人達

こんなに大勢に囲まれて、今私は幸せだと感じていることが

大袈裟ではなく奇跡的な話で。

 

プロレスに関わるいろんな人が

私のトラウマを払拭してくれたわけで。

 

だから私は

私の勝手な理想でも

私の勝手な気持ちでもかまわないから

ずっとずっと可能な限り

大好きな人達と

大好きなことを続けられるように

私のために

成長する。

 

今日私は、唯一ずっと苦しかったこと

ずっとつらくてたまらなかったことを

旦那に泣きながら少しこぼして

泣くほど苦しかったことを自分で再認識して

それでも続けていたいものだと再認識して

 

ただただ、ありがとうと。

 

 

 

 

私の鬱憤やストレスは

特別なものではないし、大なり小なり

万人共通のものだと、私も確かに思うわけで。

それでも私にとっては心底

苦しいものであったり

耐えがたいものであったり

するわけです。

 

それくらいで、これくらいで

そういう言葉を聞くたびに

表現しがたい気持になる。

 

全員が同じ育ち方した

養豚場の豚ですら

ストレスの感じ方は個体

それぞれ異なっているというのに

無駄に知恵と感情が特化してしまった

人間が、そうならないわけがない。

 

べつに夫婦になったから、家族だから

ケアを「するべき」とは微塵も思わないが

変化や異常に全く気付いてもらえないことや

それを相談しても訴えても

面倒くさいと言われるのは

さすがにこたえる。

 

楽しいことだけを共有できればいいだけなら

関係は友人で充分ではないかと思ってしまう。

 

私はいったい何なのかわからなくなる。

 

まともに聞いてもくれないなら

吐き出すくらい好きなところで

好きにさせてくれ。

 

誰が好き好んで

自分の旦那のこと悪く言うんだ。

とっても大好きで

とっても大切で

最愛の人なのにも関わらず

それでも潰しきれないくらい

外部に吐き出さないと

どうにかなりそうなくらい

私は色々とダメな状態なんですと

 

それすら「面倒くさい」

と言われてしまったら

いよいよ私は人格までどうにかなりそうで

毎日怖いわけです。

 

このところ

楽しい話をしていない。

楽しい会話を続けていない。

自宅にいて自分の表情が変わらない。

 

もう、ここにすらうまく書き出すこともできない。

 

何がしたいんだとか

どうしたいんだとか

聞く気もないのに責めるためだけに言わないでくれ。

 

本当に、助けてほしい。

 

あなたに助けてほしいんです

夫のあなたに。

 

 

そういうものって
簡単に造り上げられるし
簡単に消えてなくなるのだと思う。

そもそも人間が自分以外の何かを
どこまで信用できる生き物なのか。

マンガやアニメのように
すべてを託してなお有り余る信頼
というものを、わたしはまだ
人間界では見たことがない。

信用、信頼するとは
どういうことを指すのだろう。
そもそもそれすらよくわからない
曖昧なものだとさえ思う。

信用信頼というものが
死ぬより難しいものなのに
簡単にそういう言葉を
口にしてしまえる人間こそ
信用ならないと思うのは
私だけだろうか。

それでも愛しているから
大切な相手だから
恋人であれ友人であれ
家族であれ
信用しよう、信頼しよう。
と思うのが
人間のできる精一杯では
なかろうか。

信じる
と、
信じている
とでは
大きく意味が変わってくる。

でもどちらも
愛情がそこになければ
成立しない話でもあると思う。

そしてそれを裏切る
というのは
それはそれは
大きな不信を生むことになると
大きな傷を残すことになると
私は思う。

言葉では到底賄いきれないほどの
大きな大きな不信に変わる。

裏切った側は
微塵もその自覚がないことが
本当に悩ましい。

言葉だけで完結したつもりになる
謝罪すれば終わりになる

と思っているのが
言葉も見つからないほど
私は悲しい気持ちになる。

極論

人を殺した人間が
被害者側に責められた時
申し訳ありません
で、罪を免れるのか
と言う話になる。

例え話が極端だと言われれば
それまでの話だが
そうでもしないと
伝わらないのが事実であって。

傷ついた側が
傷つけた側の気持ちを汲んで
我慢しなければいけないなんて
そんな話があってたまるかと
私は毎回、毎回
心が重くなる。

正解というものがない、ということが
知恵を無駄につけた人間という
生き物の答えなのだろうが。




プロレスの練習に参加させていただいてから

怪我をしたり、生活でトラブルがあったり

ロクに練習できない時期が続いたりで

それでも復帰してたくさんいろんな方々から

励まされ指導を受けて、4月15日この日に

私はリングに上がることができました。

 

胸を貸してくださったのは

プロの女子レスラーあきば栞選手。

 

この方は私の旦那でかい一物の教え子だったと聞いていました。

そして私も同じく、旦那が初めての先生でした。

 

私はプロレスを全く知らないところからのスタートでした。

技も選手もルールも何も知らないところから。

 

そんな私が彼に惹かれて、プロレスに惹かれて

この界隈に立った最初の対戦相手は

旦那の教え子でした。

 

同じ場所からスタートした大先輩。

そんな人とリングで対峙した私は

一つのルールを決めていました。

 

できないことはやらない

でもできることは全力で。

 

これは旦那がずっと言ってくれていた事でした。

 

私にできることはこの時、とても少なかったです。

それでも試合前に、必死で反復して

思い出して、これまで経験したことのないほど

集中していました。

 

私はできる、これまでやってきたことを

信じろと、ずっと言い聞かせていました。

 

しかし私はすぐに現実を思い知らされました。

何もかも完成したとは言い難いながらも

何とかできるようになったと思っていたものが

リングに上がると何もできませんでした。

私がいかに過信していたか。

 

あきば栞選手がリングインした時

コーナーで私に背を向けてゴングを待つ姿を見ていた時

ずっと私の両膝が震えていたのは今でも思い出します。

 

きっと顔を見てしまったら本当に動けなくなると

そう思ってゴングが鳴る前に殴りかかりました。

 

頭で考えても私は動ける人間ではないから

ただ無我夢中で噛みついていました。

 

私が何発も繰り出した攻撃も

あきば栞選手は1発ですべてを塗り替えてしまう

その度に私は格の違いを思い知らされて

次第に体力も残らなくなり心も折れるかと思いました。

 

でも、それでも私は最後まで諦められませんでした。

こんなに素晴らしい選手と、私はこの時

デビュー戦をさせてもらえていたんです。

諦められるわけなかったんです。

心なんて折ってる場合じゃなかったんです。

少しでも、少しだけでも何か残したかった。

この人とリングに立っているこの一分一秒が

本当に私は幸せだった。

 

試合が終わって、自分の動画を見返して改めて

一辺倒な攻撃に終わってしまったけれど

あの時の私の試合内容が、今の私の実力のすべてなのだと

恥ずかしさや、反省や、そしてどこか

自分を初めて受け入れられたような気持になれました。

 

私が今、向上するために何が足りないのか

何をするべきか

この試合の、そしてあきば栞選手のおかげで

少しはっきりしてきました。

 

 

あきば栞さんが言ってくださった

「またいつかやろう、亜兎蘭が強くなった時に」

 

私はこの言葉を目標に

この日のことを忘れないで

もっともっと強くなります。

 

そしていつかまた

私があの頃よりも強くなりましたと

胸を張って報告できるようになった時は

この日の言葉通り

あきば栞選手と同じリングに立って

戦えることを信じて。

 

 

あきば栞選手

本当にありがとうございます。 

 

 

2018年、4月15日。

今日私は、主人のでかい一物自主興行

ここらが年貢の納め時、にて

第一試合でプロの選手「あきば栞」さんと

デビュー戦をさせていただきました。

 

まず一番初めに。

 

この興行を開催するにあたって

たくさんの方々の協力に支えられました。

 

出場選手として参加してくださった

あきば栞選手

半魚人マサカズ選手、軍荼利選手、CARGO選手

ウメタロウ選手、ボッキーコングJr選手、イクナ・ラ・ハトヤ選手

ハレタコーガン選手、ザ・ビッグ・バクエイ選手

鴉野ショウ選手、力丸乃りお選手、ヘン・チーナ選手

ハリケーン津田選手、山本国鉄選手、チガイOKADO選手

ハ・ダオン選手、風渡辺琉選手、華蓮丸選手

Mr.MONEY選手、山本KIDゆみこ選手、

ランジェリーナ・ジョリー選手、アウトサイダー根岸選手

浦安“ケロッグ”純選手、ヴァサライケウチ選手

GREED選手、カズシバノ選手

でかい一物選手、GENTARO選手

 

レフェリーとして試合を裁いてくださった

瀬戸あずまレフェリー

LOCK.鈴木レフェリー

レッドシューズ赤沢レフェリー

 

実況解説、音響で会場を支えてくださった

ジミー・ヤンキー選手

イホ・デル・メソJr選手

 

カメラで大切な思い出を残してくださった

エリリン高木選手、土屋太鳳ぱいぱい選手、永地選手

 

会場の受付でお客様を迎えてくださった

作業IN藤原選手、牛久剛太郎選手

 

リングで選手の名前を力強く読み上げてくださった

いせあきリングアナ

 

そして、会場にお越しくださり声援を送ってくださった

すべてのお客様

各地から、おめでとう、頑張れ!とあたたかく祝福してくださった

関係者様やご友人の皆様。

 

 

この日この興行は、こうして主人をこれまで

支えてきてくださった皆様のおかげで

無事迎えることができました。

 

私が主人と出会い、そしてプロレスと出会い

様々な経験をさせていただいたこの短期間

私はようやく、結婚という一つの形で

幸せをつかむことができました。

 

人間としても、選手としても

私達夫婦は足りないことだらけで

たくさん迷惑をかけてきました。

そんな中、こうしてお集まりいただき

そして祝福していただけたこと

私は本当に言葉にならない感謝で

胸がいっぱいです。

 

これからは二人、より添いながら

少しずつ足りないものを補い合って

沢山学んで、人間として選手として

成長していきます。

 

至らぬこともあるかと思いますが

どうかこれからも

私達夫婦を末永く見守っていただけたらと思います。

 

私達に、こんなに素敵な思い出と

幸せな時間をありがとうございます。

 

 

でかい一物、亜兎蘭

 

 

 

 

皮肉なもので

こうなりたい、と思う人物像は

たいてい自分が嫉妬したり羨んだ

人間だったりする。

 

考えてみればそれも当たり前のことなのだろうが

 

おしとやかさ、強かさ

丁寧な所作

綺麗な笑顔

教養と機転の利く思考

 

ないものねだりとはまた話が違う。

私は私らしさや良さというものが

未だに見つけられない。

 

私には今何もない状態、

 

こうすれば、ああすれば

今よりずっと素敵な女性になれるのかなと

試行錯誤して、挑んで

尽く失敗に終わって

もう27年目になろうとしている。

 

私が嫉妬した、妬んだ

そんな人の背中を追いかけて

果たして何の意味があるのだろうか

 

目標としてとらえても

私がそうなれなかったのは

私はその人ではないからだ。

 

私は私でしかなく

私は私にしかなれない。

 

誰かみたいになろうと思うことが

私の中で正解ではなかったのなら

私は私を見つける方向へ

動きださなくてはいけないのかもしれない。

 

負の気持ちをエネルギーに変換できなかった

ということは

私が今必要なエネルギーは

それではなかったと言う事なのか

それとも、私が未熟なばかりに

吸収できなかっただけなのか

 

私は今どんな人間なのか

私はどう変わってきたのか

私はこれからどう変わるのか

私はこの先何を得るのか

私は今どうなりたいのか

 

私が今、私の中で迷子になっている。

 

迷うことのない人間はいないと聞いた。

 

なら、私はまだ器用に抜け出せる方法を

見つけられていないだけなのか

 

自信を持つということが

私の中で何よりも難しいことのように

思えて仕方がない。

 


朝になるまでの、暗い時間。
私が今何より嫌いな時間。

碌でもないことばかり思い出したり、碌でもないことばかり頭に流れてきたりして、心がささくれだったり、気性が安定しなくなる。

毎日元気でいようとか、笑顔で1日終えようとか、凄く集中しても、1人眠れなくなるこの時間だけは耐えられない。

もう誰でもいいから寝付くまで抱きしめて欲しい。
毎晩気が狂いそうになる。

思い出したくもないこと、考えたくもないこと
あまりにも多すぎて、大き過ぎて、もう自力でねじ伏せることも蓋をすることもできなくなってきてる。

吐き出したい言葉も喉につっかえて吐き出せない。
胃の中で溜まり続けて腐っていきそう。

どうやって楽しいを体感していたのか思い出せない。
どれが幸せなのか見分けがつかない。

嬉しいことがあっても、全部夜になると飲み込まれて消えていきそうになる。

どうしたらいいのかわからない。
手段はすべて駆使した。
それでも改善しない夜。

いい加減解放して欲しい。
誰か助けて欲しい。

頼むから夜は1人にしないでほしい。
わがままでもなんでもいいもう夜1人で眠れない時間が死ぬよりずっと辛い。





私はもう言ってる間に27歳になるわけですが
相変わらず自信の無さとネガティブは
私の中に居座り続けて居るようです。

ポジティブとはそもそも何ぞや、と
少し心の落ち着いている時によく
考える事があります。

いつもどこでもニコニコしていて
元気で明るければそれが
ポジティブなのだろうか、って。

答えはおそらく「NO」なのだろうなと。

見てくれ元気を振る舞えても
心がポジティブでなければ
そのうちボロが出てしまうよなと。

んじゃ心のポジティブはどうしたら
自分のモノになるの?って話でして。

まず自分の中のネガティブを粉砕して
消し飛ばさなければ無理ではないか?と。

人間、ネガティブな事を言う人や
そんなオーラを持つ人とは
あまり関わりたくなくなるのは
当たり前の話で。

だから私もなるべく
なるべくTwitterやら人の目に
触れやすいところでは
マイナスな発言をできるだけ
しないよう心がけてはいるけども

だけどそれで変われるのかといえば
そうじゃない。

吐き出す場所は、どうやら
私にはどうしても必要だったようで。

だから私は、どっちでもない
とりあえず大丈夫なことはTwitterで
元気に前を向けるよう
幸せなことはFacebookで
落ち込んだ時迷って苦しい事
自問自答はアメブロで
そして、誰にも言えないような
愚かで見苦しい感情は
誰も繋がっていないmixiで

それぞれ吐き出そうと決めました。

そもそも私は生きることがド下手なので
うまく大人になりきれていなくて。
だから、せめて心のコントロールだけは
できるようになりたい。

何に対しても
嫌な言葉を吐いて
嫌な顔をしてしまう自分を
少しずつ綺麗にしたい。

私はちゃんと、私を取り戻したい。

もう、何年も前の過去のトラウマに
いつまでも縛り付けられるのはゴメンだ。

私は強くなりたい。

今は、とても色んなことが苦しい。
怖いものでいっぱいだ。

怖くないものだと、早く気付いて、私。


ここ最近ちょくちょく見かけるようになった

人間格差的な話題。

なんだか昔からずっとこんな話題はあったのだろうけど

やっぱり根本変わらないんだなと思う。

 

知恵がある生き物なだけに

どうしても同じ生物間で優劣つけないと

落ち着かないんだろうなとは思う。

 

生産性を求めたり、効率を求めることは

生存競争上必要なふるいだとは思うが

それが行き過ぎると

ただの「罵倒」になってる気がする。

 

彼(彼女)は、今僕(私)が欲しい人材ではない

 

でいいのに

 

彼(彼女)は使えないし役立たずだからいらない

 

と、否定の言葉を使うのが当たり前になってるのが

おいおいそれはどうなんだ?と思ってしまう。

 

私にも時々当てはまる事柄だから

気を付けなければいけないことだけど

 

組織をよりよく導くためのふるいと

相手をただ蹴り落とすだけの言葉とは

似て非なるもので大きく違うと思う。

 

何言ってんだ?と言われそうな話題だが

これって大事なことじゃないかなと思う。

 

なんだろうな、うまくまとまらないけど

人間すべてが、何かと比較するにあたって

良く見る方向よりも悪い比較のし方を

無意識にやってる人が多い気がした

今日この頃。