年明け早々に、なんちゅーお題だ。

と思われたでしょうか。

そういう内容です。






この年末年始、家族と共に、行動としては1年前よりも落ち着いて過ごせています。まあ昨年のことは良く覚えてないけど、たぶんそうなんでしょう。



息子は、姿は見えなくとも一緒に居てくれている。

という前提のもとに、なるべく淡々と過ごしています。



それは、良いことなんだけど


やっぱり、強烈な違和感を覚えたりもします



ここでちょっと違う話ですが



甚だ勝手な言い草なのは百も承知ですが

日頃から、妻が息子に向かって手を合わせている姿をふと見かける時が、内心堪えます


なんでこのひと、一心に自分の子の写真に手を合わせたりなんかしちゃてんの? と言う素朴な違和感と

ああそうだった、このようなことになっているのだ 自分はそれを防げなかったのだ

幸せにするとか家族守るとかって、なんだったっけ

と言う、何度でも改めての気づきの、衝撃




そして話を戻すと、

家族が外目穏やかに過ごせているのは良いことなんだけど、内心でそれぞれに尽きぬ悲しみを抱えて、でもそれぞれのやり方で日々を歩んでいるのもよく分かる



わかるんだけど、ふと思います



いやこれでいいの?

これ以上は無いほど大ごとで、悲しい事が起きたのに、なんで普通っぽくできてるの


たまには皆で一緒に、無礼講じゃないけど、我慢せず

泣き叫んで泣き喚いて地団駄踏んで転げ回ってイヤイヤしても良いんじゃない?



何で何でって

嫌だ嘘だって

帰って来てって

悲しいよさみしいよって


思い切り息子の名前を呼んだって良いんじゃない?



一人でやると他が宥めにまわらなきゃいけなくなるから、皆んなが思い思いにね


未練とか執着とか受容とか成仏とか、知ったことか

これが生きていく者の、感情だ



なんてね



、、、そんなこと実際には口にしませんよ

ここでだけ吐き出す、妄想です





私は、基本家族の前では息子に手を合わせないです

状況的にやらざるを得ないときには、なるべく手短に形だけ



やりたいときは自分一人で、家族が家にいないか寝静まってからにしてます



息子と向き合っている時には、

ごめんと言う言葉が漏れたり

涙が溢れてきても、

無理に抑え込みたくはないので