あさま山荘 | ウランのブログ

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やっとみつけた・・・


半世紀近い年月が経ったとはいえ今でも避暑地であり、静かに夏を楽しむ富裕層の溜まり場である。


しかし実際にはゴーストタウン化しており、廃墟マニアにはたまらない場所だ。


時折パトロールする車とすれ違うが、平静を保ってすれ違えば侵入者とはバレナイ






そう、ここは立ち入り禁止区域なのである。





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これが民間人1名、警察官2名が銃撃戦の末射殺された慰霊碑である。

先ほどの碑と違って、誰が建てたかは不明。

匿名での寄贈らしい・・・


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ある追悼番組のワンシーンからすると、現場は目と鼻の先。

私は歩いて確認に行った。


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ありました・・・




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この階段といい・・・


角度・・・


40年近い年月が経っているが、面影を残している。


当時は河合楽器の保養所であった。


16年前はデザイン会社に渡っており、改装されているが、見る人が見れば分かる建物であった。


しかし今ではマニアでも探せないほど見えにくくなっている。


あまり細かく書くと誰でも探せることになるので、伏せておこう・・・


ここは今でも誰かが避暑地として静かに暮らす街なのだから・・・


しかし、私のように真面目な気持ちで訪れる方のためにヒントだけ・・・


たくさんの木々が育とうとも地形は簡単に変わるものではない。

上から見下ろす報道陣、下から見上げる機動隊

よくぞここまで登れたと思うほどの鉄球のクレーン車


以上のように、あれだけ壮大に見えた冬の山であるが、実際には狭いものである。


当時、私は小学校低学年。

あと、何カ月もすれば本土復帰となる2月28日の寒い日。

担任の先生は「これは日本の歴史に残る事件だから、よーく見ておきなさい」

と言って授業も給食時間もテレビを流し続けた。


目の前で流れる銃撃戦の映像


ここに至るまでの連合赤軍の悲惨な山岳ベース殺人事件など、その時は誰も知らなかった。


その日の夜に犯人5人は逮捕され、悲惨な山岳ベース殺人事件が公になるのだが、日本は立て続けに驚かされた。





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たくさんの思いを清算させて私は現場を後にした。

マニアの方も探せなかった看板も実際にはそこにあった。


きっと何かが私を導いたのであろう・・・


本当にすべてのツールが働き、偶然にもたどり着いた。


また、訪れることがあるのだろうか・・・


じつは、帰ってから改めて映画や文献を見てみたが

結論は一つ


「集団心理の暴走の恐怖」である。

ストックホルム症候群にも似た・・・

それだけにリーダーの責任は大きい


映画「あさま山荘への道程」の高校生犯人の泣き叫んだ言葉


「みんな勇気がなかったんだよっ」が印象的。

山岳ベース事件を供述したのも彼だった

犠牲者の恐怖を考えると計り知れない・・・


すべての犠牲者の冥福を祈って・・・


合掌