「人は何によって輝くか」を諭された作家 神渡良平さん | 清々しく、やさしく、丁寧に、力強く生きる  長瀬泰信

清々しく、やさしく、丁寧に、力強く生きる  長瀬泰信

~人は言葉により励まされ、癒され、自分の世界を築いていく~

「人生は1回しかない」ことを、脳梗塞で倒れたときに骨の髄まで知らされ懸命なリハビリによって社会復帰され、人としての生き方を軸に作家活動を続けておられます。


歴代の首相である吉田茂、佐藤栄作、池田隼人さんらが指導を受け、経済界では経団連会長の平岩外四さん、住友生命相談役新井正明さんらが教えを受けられた安岡正篤さんの伝記『安岡正篤の世界』(同文社)を読み終えて、作者の神渡良平さん(千葉県佐倉市在住)に会いに行こうと手紙を書きました。


福岡で講演があるので前日は予定がないからそこで会いましょう、わざわざ足を運ぶには及びませんという返事に小躍りして、篠栗駅前の『夢屋』で食事を兼ねて、深夜まで語らいました。


作家・神渡良平さんは、昭和23年鹿児島県生まれで、九州大学医学部に入学されますが、学園紛争に巻き込まれ中退。ヨーロッパへ無銭旅行され7年間過ごし帰国後、出版社に勤務されますが38歳のときに脳梗塞で倒れ右半身不随となり、懸命なリハビリ生活が始まります。



神渡さん自身、仕事が順調にいき面白くなったときに、車椅子の生活を余儀なくされる状況に落ち込まれます。「人生は上り坂もあれば下り坂もある。もう一つまさかという坂がある」という言葉は一灯園の高僧石川洋先生の言葉ですが、まさに「まさか」との遭遇でした。



文字を書いて表現したいという思いから、ぶら下がって萎えた右手を懸命に使えるようにという訓練を経られたからこそ、人間としてこれほど深みのある魅力と、読者の琴線に触れる機微に溢れた言葉が文章の端々に醸し出されています。必死に回復を願うあせり、苦痛の中で「人生はたった一回きり、どんな優秀な人もそうでない人も、人生は等しく一回きり。大切に生きよう」と骨の髄まで教えられたと語られました。



まさしく、地球46億年の歴史のなかで、自分という存在は後にも先にも唯一の存在という言葉と重なり、いい時期に出会ったことを感謝することでした。



日本では古くから言葉は「言霊(ことだま)」と言われ、言葉が人々に働きかけ勇気、感動を与えてきました。安岡先生は「寸言(すんげん=短いが意味を含んだ言葉)こそ人を感奮・興起させる」という言葉を残されています。



理容技術を競う世界選手権3連覇の田中トシオさんとお会いしたとき、理容業が生涯の職かどうか迷っているときに、作家・武者小路実篤の『この道より我を生かす道なし この道を歩く』に出会って生涯の職として決意されます。「鋏のひとりごと」(叢文社)そして、世界一の栄冠に輝いて「夢は逃げない 自分が夢から逃げるだけ」という言葉を残されました。体験が生み出した言葉です。



神渡先生も安岡正篤先生の「人間は一隅を照らすだけの力量を誰にも与えられていて、この世の中に送られてきた。だから、この仕事を通じて自分の人生を築いていこうと心に決めたら、その一業に徹して5年、10年、15年経ちさえすれば誰もが追従できない領域までなっている。一業に徹し、一隅を照らそうと心がける生き方をいなければならない」という教えをしっかり受け止めて作家業に徹します。


上ばかりを見て、早く出世したい、スポットライトを浴びたいという気持ちが、いつも人の評価を気にして、人と見比べて一喜一憂を繰り返していたとき、安岡先生の本から「そんな生き方より足元から一遇を照らす存在になることが素晴らしい生き方」だと教えられたことを語られました。



近鉄奈良駅から徒歩で15分ほどのところに元興寺という寺があります。門をくぐって右の方の曲がり角に石碑があり



「白珠は人に知らえず、知られともよし、我れし知ららば、知らずともよし」

と刻んであります。万葉集に収められていますが、読み人は不明です。


この句の前にたたずみ、人の評価など気にせず足を地につけて生きようと心するために訪れました。(五重塔の近くです)



「有名無力。無名有力」も安岡先生の言葉ですが、神渡さんとの語らいで教えてもらいました。「マスコミにもてはやされ、この世的に有名になると、自分を蓄積する時間がだんだんなくなっていって、いつしか内容のない人間になってしまう。たとえ無名で世の中に知られなくても,あの人は!と言われるようないぶし銀の魅力を持った有力な人間をめざすように」と諭しているそうです。



東京の銭湯で半世紀以上背中流しをされている橘秀雪さん、球磨川無人駅の対岸で1日数名の橋渡しをされている求摩川八郎さん、北海道焼尻島でアザラシを観測される河野康雄さんらを訪ねながら、「有名無力、無名有力」を噛みしめることでした。



神渡さんは内観道場で精神修養をされていますが、私自身も研修会で内観について教えて頂いていましたので、興味深く伺いました。



内観道場では、わずか三畳ほどの小さなスペースのところで自分が座っているところは屏風で囲まれ、次の3点に集中して自分を振り返って自問自答していきます。



(1)してもらったこと、やっていただいたことは何だったか。(2)それに対して自分は何をして返しただろうか。(3)迷惑をかけたことは何だったか。



私たちは、思い出してみますと随分多くの人にお世話になっていることに気づかされます。オムツを替えてもらったことなど記憶にはありませんが、子育ての姿を見たときに自分もそうしてもらったと教えられます。学校の先生には私自身人生に必要なことのほとんどを教えていただいたように思います。



私は、本学院に学ぶ学生は、これまでの「してもらった時代(こども世代)」から「してあげる時代(おとな世代)」へのパラダイムシフトの時代だと思っています。歴史上最大のパラダイムシフトは一世紀かけての天動説から地動説への転換でした。どのような形で進路を決め、その実現に努力し、社会にお世話になった人に返す、どのようにして返すかを取り組む時代と位置づけています。



神渡さんの作品は、単なる物語ではなく社会に貢献したり、人のための作品になっているのは、内観道場で体感されたことが根底にあるのだろうと思いました。



語らいのなかで、野口雨情の話を聞かされました。学生時代から詩を書いていた野口雨情は、仲間が頭角を現していく中で、何もかもがうまくいかず、その混乱のなかで、生まれたばかりの一人娘が一週間の命で他界します。順調に行かないことを他人のせいにし酒浸りの日々、酒に酔っぱらって寝ていた雨情に、娘さんが涙を一杯ためて夢に出てきます。自分の人生に挑戦できず1週間しか生きながらえなかった娘に比べ、このまま娘と天国で会えないと一念発起、そんななかで異国の地に売られていった女の子の寂しさを歌った「赤い靴」、シャボン玉を飛ばしている子供達の情景を歌った「シャボン玉」、カラスのお母さんの愛情を歌った「七つの子」など数々の童謡を生み出していきます。



「シャボン玉」の歌詞を読みながら、命が与えられているあなたは、何故、自分の舞台でかけがえのない存在になるための努力をしないのかと叱責されているように感じました。



人間は、ある時、これではいけない、このままでいいのかという分岐点に遭遇したとき、言い訳をしたり、理屈をつけたり、面倒くさいとかで逃げたりしないで、行動を起こし、続ける、誰もが驚くほど続けることが大切だということを、野口雨情の話を伺いながら確信することでした。



有り難うございました、お陰様でと感謝しながら、行動が起こせる人は光り輝いていくのではないかと思いますと結びで語られた言葉が忘れられません




「私の願い」 

一隅を照らすもので私はありたい


私の受け持つ一隅がどんなに小さいみじめなはかないものであっても


悪びれず ひるまず いつもほのかに照らしていきたい