「ははうえさま」
テレビ「一休さん」 エンディング(1975)
歌/藤田淑子 作詞/山元護久 作編曲/宇野誠一郎

1番
ははうえさま お元気ですか
ゆうべ杉のこずえで
あかるくひかる星ひとつみつけました
星はみつめます ははうえのようにとても優しく
わたしは星にはなします
くじけませんよ 男の子です
さびしくなったら はなしにきますね いつかたぶん
それではまた おたよりします
ははうえさま  いっきゅう

 

2番
ははうえさま お元気ですか
きのうお寺にこねこが
となりの村にもらわれていきました
こねこはなきました かあさんねこにしがみついて
わたしはいいました
なくのはおよし さびしくないさ
男の子だろ かあさんにあえるよ いつかきっと
それではまた おたよりします
ははうえさま  いっきゅう

 

昨日 改めて「一休さん」を調べました。

それは現代にまで遺恨を残す複雑な南北朝時代を知るには、入門編として「一休さん」は面白可笑しく学べるからである。

 

この歌詞に出てくる母親こと伊予の局(藤原照子)は南朝系の娘で、父親は当時の武将足利家と対立し戦ったこともあります。

北朝時代の天皇 後小松天皇に寵愛され、後に一休を身ごもると周囲の妬みから「懐に短刀を隠し持って天皇の命を狙っている」

と噂され泣く泣く京の嵯峨野の民家にて一休を隠れ産みました。一休は母親に大切に育てられましたが、五歳のころ後小松天皇の皇位継承の問題に巻き込まれ殺害されるのを恐れ、泣く泣く今の四条大宮あたりにあった安国寺に出家させたのです。テレビアニメの一休さんはここから始まります。私が高2の夏休みを利用して一カ月もの間バイトした「大眠」も四条大宮と西院の間にあったのでとてもゆかりを感じます。

以上のことを知ってからこの歌詞を読むと涙ものです。子供のころから歌の切なさを感じていましたが宇野誠一郎氏の作曲やアレンジも大きいのですが、特に2番の子猫が隣の村に貰われていくシーンは自分と重ねての表現は堪らないものがものがあります。

その後一休さんは、人々から慕われる立派な和尚さんに成長していくのですが、それはまたの機会にしたいと思います。

 

とにかく泣ける歌です。

 

 

ここから一休研究所によると

 

アニメ「一休さん」の拠点となる舞台。それが安国寺(あんこくじ)だ。事実、一休さんは周建(しゅうけん)という名で、安国寺に在籍していた。6歳~17歳までいたとされる。アニメの安国寺の境内には、山門・本堂・鐘突堂・和尚の部屋・小坊主棟・井戸・東司などの構築物と、さらにさよちゃんの家も含まれる。寺の片隅には、あの千早六蔵の墓もある。もちろん、てるてる坊主の木もある。
 さて、安国寺はアニメでは、住職
外観和尚と、しゅうねん以下6人の小坊主しかいない貧乏寺に描かれている。これも話を面白くさせているのだが、実は創作による設定のようだ。 
 安国寺は、足利尊氏・直義の兄弟が臨済宗の、天竜寺開山となる夢窓

 

 

むそう疎石

 

 

そせき(正覚国師)のすすめで、元弘の乱以来の戦死病没者の霊を弔うことを名目に、日本の各州に一寺ずつ、全国66ヶ国2島にたてたお寺で、京の安国寺もそのひとつだった。これは、国分寺とおなじように、治安維持・民心安堵

 

 

あんどが目的の官寺である。

 安国寺は、
3代将軍義満の禅院管理政策により、鹿苑

 

 

ろくおん院僧録司

 

 

いんそうろくしによって管理されるヒエラルキーにくみこまれている。安国寺は、「五山

 

 

ござん之上

 

 

のうえ」とされる南禅寺、「五山(相国寺・天竜寺・建仁寺・東福寺・万寿寺・・・京都五山は時代によって序列も選ばれた寺も何度か変わっている。)」に次ぐ、「十刹

 

 

じっさつ(広覚寺・宝幢寺

 

 

ほうどうじ・禅興寺・妙覚寺などなど)」のなかにある。
 現在の京都市、四条大宮付近にあったようで、五重塔ももっている、大きなお寺だったということだ。住職「外観」は、実在の人物である。