唐突だが、自分はかなり運が良い方だと思う。
過去に1度、SNSで10人に商品券をプレゼントするというキャンペーンに、自分と父親の名義で2口応募したら、2口とも当たってしまったということがあった。“良い”と言うよりも、むしろ運に付き纏われているといっても過言ではない。

そんな私だから、20歳最後の今日という日に限って、幸運の女神に遭遇し、今まで経験したことのない壮絶な体験をすることになってしまった。


本題に入るに先んじて忠告する。
今回の記事は閲覧注意である。








13時過ぎ、アルバイトに向かうため、線路沿いの一本道を歩いていた。
講義を寝過ごし、いつもの如く出勤時間に間に合うギリギリの時間に家を出た私は、多くの溜息を載せた列車がすり抜けていくのを横目に足早に駅を目指していた。

線路に面したマンションの駐車場の前を通りがかった時、ふと視線の端で老婆が路面傍でうずくまっているのを捉えた。

老婆が助けを求めようものならばすぐにでも身を挺してやろうと身構えたが、次の瞬間それが全く異なる状況であると理解し、目を向けてしまったことへの後悔の念が押し寄せた。

老婆は助けなど求めていなかった。
いや、むしろ見つけて欲しくないと心から願っていた。






老婆は野糞をしていた。






眼前の光景に理解が追いつかなかった。
しかし、確実に老婆から捻り出された“糞”がそこに存在しているということを理解せねばならなかった。

そこから歩いて5分足らずの駅前のストリートには、真新しいトイレがいくつもある。
しかし、私にとっての5分はその老婆にとって20分、いやそれ以上の体感時間に違いない。

老婆にとっても苦渋の決断だったのであろう。
その悲痛な心境を察するに、涙が出そうになる。

だが、せめてもっと人通りの少ない場所でして欲しかった。

その場から逃げるようにして飛び乗った電車の激しい揺れをもってしても、脳裏に鮮烈に焼き付いたその光景を引き剥がすことは不可能だった。
当然、その後のアルバイトにも身(実)が入らなかったのは言うまでもない。


ことの顛末が幻か現実か、特定してしまうことがひどく恐ろしく感じられ、帰りの道中、暗闇の中で老婆の痕跡を探すことは遂に出来なかったが、全てが幻であってほしいと切に願う。
きっと老婆も同じ気持ちだろう。


このように、20歳を締めくくる最後のイベントは、人の“糞”を見るという、大変壮絶なものになってしまったのであった。