南朝北朝 本当の天皇はどちらなのでしょうか  8 | サファイアのブログ

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南朝の運命を決定づけた榎本の声明文



慶応4(1868)年9月22日
最後まで必死の抵抗を続けていた会津藩も
圧倒的な武力を護する西軍を前に敗れ去った

いうならば、戊辰戦争の実質的な
戦闘はもうこの時に終了したといってもいい


           ただこのころ
榎本武揚(えのもとたけあき)率いる旧幕府海軍の残党は船で
蝦夷地へとむかい(えぞち)、最後の決戦の砦を築こうとしていた
そして、10月26日 函館五稜郭を占領した後

榎本氏は各国公使に対して一通の声明文を送っている



          その声明文は


「徳川の新領地を蝦夷地へ求める・
 徳川脱藩家臣は正当な権利を守るため武器を手にして
        防衛する交戦団体である

 諸外国は函館で戦争が起こったとしても局外中立をたもたれたし」



          などという条項に交じって

奇妙な一文が挟まれていた


そこにはなんと



「対外関係は明治政府に一任する」



と書かれていた



          はなはだ不自然な一文



この声明文が発表されたのは12月22日

実質的な戌辰戦争の戦闘が終結してからもう3か月が経過している

すでに東武官軍は散り散りとなり、もはや跡形もない

なのに


なぜわざわざ「対外関係は明治政府、、、」などと一文を入れなくてはいけないか




            おそらく


薩長同盟・・・勝海船・・・榎本武揚・・・のラインで

何らかの裏取引があり、その延長線上にこの一文が

押し込まれたのではないかと筆者は推測している



            というのも



国内における東武官軍の軍事的敗北はすでに動かしがたい事実であったが

対外的には「西のミカドと東のミカド」とのにんしきはまだ生き残っていた

明治政府にとってこれは非常にまずい

国内的にはもちろん国外に対しても


「天皇は一人」というフィックションをゆるぎなき

事実として広めねばならない


           そしてこの声明文が生まれた




           一方




諸外国の側にしてもこの声明文はある意味渡りに船であった
これから先、外交交渉は明治政府とだけやればいいことになる


           つまり



東武官軍との取引ですでに

先払いされていた莫大な金銀は

もう返さなくていい


           すべてチャラなのだ



           当然


武器商人たちはもろ手を挙げて榎本氏の声明文を歓迎したことだろう━─━─━─━─━─





        次は、「野に下った南朝天皇と明治政府の判断」


           というお題ですが冒頭のところ少しかきましょう━─━─━─━─━─





榎本氏の声明文が最後の一撃となり、南朝天皇は抵抗のすべを喪失する

自らの正統性を諸外国に訴えるという手段も断たれてしまった


結局、大政天皇は身を隠しのに下るしかなかった


かつて、笹置山の戦いにおいて鎌倉幕府に敗れ

わずか数名の手勢とともに山中に逃れた後醍醐天皇が

「さしてゆく笹置きのやまを出でしよりあめが下には隠れやもなし」




歌に詠んだ心境もかくやとおもわれる寂寥とした旅立ちであったろう



              一方



明治政府の追及の手は 厳しく 苛烈を極めた

大政天皇は敵の目を欺くため高輪東禅寺(たかなわとうぜんじ)に

自ら崩じたことにして陵墓をつくらせた


         が

明治政府の官憲たちはこの墓を暴き

徹底的に破壊しつくした




             小野寺氏によると


これは儒教思想で極刑とされる「剖棺斬屍」であり

その人の死後墓を暴いて再び 殺すことを意味します




             もう一人の天皇がいた


という


歴史的事実はどのような手段を使おうと

絶対に封じなければいけないのだ


一刻も早く暗黒の隅で塗りつぶさなければならぬ

誠に恐るべき 脅威であった



             そしてその脅威は


放置しておけば足の下から明治政府を揺るがす危険性が大大大であった




           冒頭「南朝北朝いずれに正統性ありや」明治22年ごろ


という本質的な議論が起き始めそれは世の中で静かに広がりをみせている




その議論は学問・教育の場にとどまらず

新聞・雑誌・

あるいは、弁論会などでも活発に行われるようになった



            時の政府は敏感に反応し


なんとか、議論が広まらないように苦心したが

うまくいかなかった




            非常にまずい事態である




このまま議論が進めばいずれ

南朝皇統の血が実際には

途絶えていなかったという事実が


浮かび上がる  いや浮かび上がるかも



しれない


             さらには



三種の神器は

ほんとうはどこにあるのだという声も出てくるかもしれない




             それは決して


             あってはならない



             由由しき事態だ






             皇統の最大のタブー


             なのだ




             暴かれてしまうかもしれぬ



そんなぎろんを強引に断ち切るため

明治天皇と政府は否応なく「南朝が正統」との


声明を出さざるを得なかったのである






━─━─━─━─━─いや~~冒頭だけにしようと思いきや━─━─━─━─━─
           全部書いちゃいました




     次回は「明治政府を襲った新たな黄金伝説」というお題です








            ちなみに「南朝から前金をうけとり武器を渡さなかった武器商人 
                 の名前はグラバー」


               聞いたことあるね
               長崎の有名な、、、n、、ん、、、

               代表的武器商人だよ、グラバーさん





    また次回お楽しみにね