天皇の三種神器、どうなったのでしょう
北に渡った神器は偽物と公言した南朝の天皇後醍醐天皇
さて、歴史を紐解いてゆくね○●○●○●○●○●▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
南朝の高等断絶と共に動乱は終わりを告げる
はたして、真実はいずれの側にあるのか
北朝は自分たちの所持する神器こそ本物であるとして
光明天皇の即位の際にこれを用いている
もし、これが贋物(にせもの)ということになれば、光明天皇の正統性の
根拠が失われることになる
一方で、計略好きの後醍醐天皇が、そうすんなりと何よりも大切な
三種の神器を敵方に渡したとも考えにくい
やはり本物は後醍醐天皇が所持していたのか?
その後、何度も北朝が南朝側の三種の神器を取り戻そうと画策している
ところを見ると、やはり北朝に渡った三種の神器は、後醍醐天皇が主張
したとおり贋物(にせもの)であったらしい
何ともややこしい騒動であった
話を戻そう
北朝と南朝との対立は、やがて意外な展開を見せる
北朝側が内部分裂を起こしてしまうのだ
足利尊氏の弟で主に政務を任されていた直義(ただよし)尊氏の片腕として
軍務を任されていた高師直(こうのもろなお)が激しく反目
二人の対立はやがて幕府そのものを真っ二つに引き裂いてしまう
直義(ただよし)は抗争の過程で高師直を打ち取り
一時、優勢に立つかと思われたが、その後、次第に劣勢を強いられ
るようになる
そして、このままジリ貧かと思われた直義一派
乾坤一揆(けんこんいっき)の大勝負にでる
乾坤とは「運を天に任せる・のるかそるかの大勝負をすること」
なんと、敵方の南朝に寝返るのである
以降、北朝と南朝の対立は、双方の陣営の重要人物が互いに寝返ったり
内通したりと、三つ巴、四つ巴の複雑怪奇な様相を見せるようになる
途中で足利義満の仲立ちにより、南朝北朝の合体が実現する
が
この時の和睦の約束がのちに反故にされたとして、南朝側が叛旗(はんき)をひるがえし
再び分裂
再び分裂した
かくして
出口の見えない分裂と混乱の時代が60年余りも続くことになる
そして
迎えた長禄元年[1457年) 南朝の後裔とされる「自天皇」が
赤松家によってうち滅ぼされることになる
南朝の皇統はついに途絶える
つまり
南北朝の動乱の時代はここに終焉をむかえる
(ここで終わりではないのだよ)
(・ω・)/

南朝の断絶の記録は公式文書の中にはない
ここで、小野寺氏という人物が出てくるのですかね
最大のミステリーがここにあるんです◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇━─━─━─━─━─
つづく