1925年ヒットラーの日本観  2014年の予言   当たってますね | サファイアのブログ

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スピリットの成長と日々の変化を日記にしていきます。
                       進化する魂

2014年の予言と題して書店はにぎわう
その中から少し引き出します

20世紀の悪魔はどこから来るのだろう
過去に予言者はシルシを残した

人類の未来を予言した人 : ロケット兵器 原爆投下 ソ連指導者の出現を的中
             
            : あらゆる2極化  人間より高度な人間が現れる
 2014年の予言もしていました
         世界はさまざまな天変地異と戦乱で2014年には
         ヨーロッパの3分の1とアメリカの3分の1が荒廃
         してしまうだろう、、、、、、、、。
            





              我が闘争
 抜粋



●『ヒトラーのテーブル・トーク』(三交社)には、次のようなヒトラーの言葉が記されている。

「『ユダヤ菌』の発見は世界の一大革命だ。今日我々が戦っている戦争は、実は前世紀のパスツールやコッホの闘いと同種のものなのだ。いったいどれほどの病気が『ユダヤ菌』によって引き起こされていることやら。日本はユダヤ人を受け入れなかったので、菌に汚染されずにすんだのだ。ユダヤ人を排除すれば、我々は健康を取り戻せる。すべての病気には原因がある。偶然などない。」

「1925年、『我が闘争』(それに他の未発表の論文)に書いたのだが、ユダヤ人は日本人こそが彼らの手の届かない敵だと見ている。日本人には鋭い直感が備わっており、さすがのユダヤ人も内から日本を攻撃できないということは分かっているのだ。となると外から叩くしかない。本来、イギリスとアメリカにとっては日本との和解は多大な利益を意味する。その和解を必死に阻止しているのがユダヤ人なのだ。私は警告を発したが、誰も聞く耳を持たなかった。」


                ここから

第1次世界大戦で彼(ヒットラー)は4年間で40回以上の戦闘に参加
6回の表彰を受ける
しかも、前線で一番危険な任務を自ら買って出ていたにもかかわらず
死ぬことがなかった

彼はその神がかり的な能力で幾度かの危険を予知し
それを乗り越えた
それらは、実際に有名な暗殺計画が直前で回避されるといった
事柄よりヒットラーのカリスマ性を高めることに寄与してゆくのである

オーベルザルツベルグ山荘で語られたものに次のようなものがある

   「近い将来男性器そっくりの兵器ができるだろう 
    それが将来の戦争と世界を支配する」

ロケットやミサイルのことだ
有名なV1号ロケットはこの予言がもとで作られた


さらに第2次世界大戦における同盟国日本に対する予言

   「米英を背後で操るユダヤが日本を絶滅させる恐れがある
    ユダヤの天才科学者たちが 災 の絶滅兵器を開発するからだ
    彼らはそれを米国に与え日本の都市3つが 廃墟となる」

これはまさしく
  ユダヤ系原子物理学者:レオシラードやアインシュタインによって
  開発製造された

同じくユダヤ系の
  米国大統領ルーズベルトとトルーマンにより
  実践投下された
  
  当時は「ひろしま ながさき 京都」が入っていたという説もある



       第2次世界大戦の予言

     「もし、ソ連と米国が手を結んだら我々が負ける恐れもあるだろう
      そのあとは、世界の羅権をソ連と米国が争う
      そうなれば、それにふさわしい強力な指導者をソ連は持つようになる
      彼は額に 赤いシルシを持つ男だ」

この赤い印は ゴルバチョフ元書記長 を指してるのではないか
  


         近未来も予言している(1989年予言)

     「未来の社会は闘争によって選び抜かれた貴族階級が現れる
      新しい中産階級  無知な大衆 新しい奴隷 
      永遠の未成年者の集団 があろう

      支配をめぐる闘争により国に内外に新しい身分が出来上がる

      東方が 巨大な 実験場と なるのだ」



     「未来に現れる永遠の未成年者の集団とは
      死ぬまで大人になれきれない 人間たちという意味だ

      だが そういう集団が現れる一方
      幼い時から大人の思考と感情を持った人間が現れる

      それは決して人間の発育状態だけではない
      人類と社会のあらゆることが両極端に別れてしまうのだ

      一方には腐るほど 大量の金を持ち
      限りなく 腐ってゆく 階級がある

      他方の極には
      何をどうやっても浮かび上がれない連中も存在する

      人間だけでなく 国もそうだ

     
      気候や愛も そうだ

      要するに     土地や金や支配力を得るには
      ますますそれを得、支配されるものはますます支配される
      だけになる


      それが私(ヒットラー)の見た未来だ

      未来はそうなるのだ



               最後の部隊が現れ人類の究極が起こる


       「1989年から2000年まで

       人類は手ひどく大自然から復讐されるだろう
       もはや、ふつうの人間ではそういう危機を
       回避できない

       だから、それに対応する超人が生まれ   
      
   
       世界や 戦争を あさめることになる」




               2014年の予言



      「2039年人類は地球からいなくなる

       だが、それは人類が残らずいなくなることではない
       
       世界はさまざまな天変地異と戦乱で 2014年

       には、ヨーロッパの3分の一
       アメリカの3分一が荒廃してしまうだろう


       今の文明は砂漠しか残らない


       そこに今の意味での人類はもういないのだ


       2039年1月、人類は人類以外のものに
       進化するか、そうでないものに退化するかしてしまってる
       からだ


       人類の一部はより高度なものの進化し

       神人”ゴットメッシュになり

       残りの大部分は、一種の機会のようになっている



       気候異変

       環境異変

       などから起こる突然変異で人類は完全に2つに分かれる


       一方は、限りなく神に近く
       一方は、限りなく機械生物に

       おそらく


       2089年から2999ねんにかけ


       完全な神々と
       完全な機械生物だけのせかいになる

     
       地上には機械生物の群れ
      
       神々が宇宙からそれを支配するようになっているのだ


       核や汚染や天変地異という危機を乗り越えた
      
       人類は、すでに今の我々とはちがう別の種へ
  
       変貌をとげ ている

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信じるか信じないかはあなたしだい                                                            




            終わり





       





          

      







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                ヒットラー回想   (日本観や日本に来日時のこと)

「我々にとって日本は、いかなる時でも友人であり、そして盟邦でいてくれるであろう。この戦争の中で我々は、日本を高く評価するとともに、いよいよますます尊敬することを学んだ。この共同の戦いを通して、日本と我々との関係は更に密接な、そして堅固なものとなるであろう。日本がただちに、我々とともに対ソビエト戦に介入してくれなかったのは、確かに残念なことである。それが実現していたならば、スターリンの軍隊は、今この瞬間にブレスラウを包囲してはいなかったであろうし、ソビエト軍はブダペストには来ていなかったであろう。我々両国は共同して、1941年の冬がくる前にボルシェビズムを殲滅していたであろうから、ルーズベルトとしては、これらの敵国(ドイツと日本)と事を構えないように気をつけることは容易ではなかったであろう。

他面において人々は、既に1940年に、すなわちフランスが敗北した直後に、日本がシンガポールを占領しなかったことを残念に思うだろう。合衆国は、大統領選挙の真っ最中だったために、事を起こすことは不可能であった。その当時にも、この戦争の転機は存在していたのである。さもあらばあれ、我々と日本との運命共同体は存続するであろう。我々は一緒に勝つか、それとも、ともどもに亡ぶかである。運命がまず我々(ドイツ)を殲滅してしまうとすれば、ロシア人が“アジア人の連帯”という神話を日本に対して今後も長く堅持するであろうとは、私にはまず考えられない。」(1945年2月18日)


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●上のシュルツェ団長のコメントで触れられているように、「ヒトラー・ユーゲント」は「白虎隊」を見学するため、1938年8月31日に福島県の会津若松市を訪れ、約1万もの群衆の大歓迎を受けている。

歓迎式の後、「ヒトラー・ユーゲント」は東山温泉の旅館へ向かったが、来日以来初めて宿舎が純日本式だったので、彼らは温泉の浴槽に飛び込んだり、鯛の刺身やお吸い物などをパクついたり、浴衣姿で、日の丸行進曲や会津盆踊りに拍手を送ったり、獅子舞に興味を示したりと、楽しい夜を過ごした。

翌日、天気が悪く、飯盛山の白虎隊士墓の参詣を中止しようとの意見も出された。

しかし、ユーゲント側の強い希望もあって、激しい風雨の中、白虎隊士墓を参詣したのであった


●この時、「ヒトラー・ユーゲント」は、白虎隊墓地広場にあるドイツの「記念碑」も拝観している。

この「記念碑」は、駐日ドイツ大使フォン・エッツドルフが、3年前の1935年に飯盛山を訪れた時に、白虎隊の少年たちの心に深い感銘を受け、個人的に寄贈したものである。

そこにはドイツ語で次のような碑文が刻まれている。

「ひとりのドイツ人が 会津の若き騎士たちへ 1935年」



●この「記念碑」は、戦後、GHQの手によって碑面が削られ撤去されたが、フォン・エッツドルフの強い希望により、1953年に再刻のうえ復元された。

ちなみに、この「記念碑」のそばには、1928年に、イタリアのムッソリーニが元老院とローマ市民の名で贈った「記念碑」=大きな石柱が建っている。この石柱は、ポンペイ遺跡から発掘された古代宮殿の柱である。ムッソリーニは、白虎隊の話に感動し、日本の武士道を尊んでいたという。

(このローマの「記念碑」の裏面には、「武士道の精神に捧ぐ」と刻まれてあったが、戦後、GHQが削り取ってしまったという)。



●「ヒトラー・ユーゲント」の副団長であるレデッカーは、「日本の印象」について次のように語っている。

「日本の印象は余りに大きいので適当な言葉を見出せないほどである。たとえば、富士登山を行なったとき、御来迎が日本の同志諸君の顔に映るのを見て、日本精神のいかに美しいかを体得した。会津若松の『白虎隊』の勇士の墓に詣でたとき、『白虎隊』の精神が身にしみて感ぜられた。今まで多数の外国人が参詣し、有名な人が詣でたにしろ、ヒトラー・ユーゲントの如く心からその『白虎隊』の精神を理解し習得した者はかつてあるまいと確信する。」

「また、各地で神社仏閣を参拝したが、日本人が敬神の念が強いのには感心した。戦傷兵士を慰問した時、日本の軍人の強さを知り、かくの如き立派な軍人を持てば日本は永久に勝利者として残ることを我々は確信した。我々は偉大なる国民の叫びを聞いている。それは『日本のため』『日本のため』というリズムである。日本国民の忠誠を国民道徳的な教訓として受け取り、ドイツ魂と日本精神が一致することを知った



●このように、「ヒトラー・ユーゲント」たちは、日本に対して強い好印象を抱いていたのである。

が、もちろん、彼らに不満がなかったわけではなかった。

彼らの不満としては、まず、「写真撮影禁止区域」が余りにも多いこと、軍部の意向で八幡製鉄所など機械工場・製作工場を見学できなかったこと、武器など軍務関係のものを見学できなかったこと、林業・牧畜や日本茶の採取・製造を見学できなかったこと、また、取材に来る新聞記者の厚顔、礼儀知らず、服装のだらしなさ、愚問の多いこと、慰安旅行のつもりで付いてくる役人など旅行随行者の多いこと、日本精神を体得させるという目的で、スケジュールに神社参拝が多く組まれていること、大臣・知事・青年指導者と農村の青年は立派であるが「健全な中間層がいない」こと、大学や高校にトーマス・マンなどナチに追われた作家やユダヤ人作家の書いたものをテキストに使用する自由主義教授が多いこと、日独文化協会やドイツ文化研究所がナチス的になっていないこと、などが挙げられている。

また、茶、香、華道の真髄は理解できなかったという。

                                   抜粋終わり
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予言の記事が違う方向へ行ってしまいましたね
           時代はヒットラーを悪魔のように描いているけれど
           何かわたしたちが知らない世界があるようです
 
           そのことに触れるのはまたの機会にしましょう

今発見したんだけど、「アメリカこそがナチスの継承者」だという記事を発見
これはまたゆっくり!!