gennbaku 原爆 gennbaku 原爆
体験 taikenn 体験 taikenn
石井道子さん NHKに取材
7歳のとき逃げ込んだ神社 東照宮
入ってすぐ蘇る記憶 死んだのか生きてるのかわからない兵隊たちがいっぱい
あそこからはその先へ行けない
行き倒れ が たくさんいたのよ
あそこから先へ行くと自分が自分じゃなくなる
と言われた
夫も被曝を経験しています
その話はしないんよ なぜ? 話せないんよ
若い人が実際この原爆に関心を持ってくれたのかと思えてうれしい
といわれました
軽々しく聞けないお話なんです
聞く側の用意がいるんです
もう一つ
磯貝文子さん
長崎慰霊祭の日 8月9日
尊い命が奪われた 小学生は原爆を知らない
田中武さん
高校に出向き語り伝えている
若い子は「ウジ虫がわからない」
伝わってるのかな?
田中ランディさんと会いました
当時の田中さんに何があったのか
聞きました
3日間うずくまっていた
もう死ぬんだろうな~と思っていたら後ろに母がいた
「おかあちゃ~~ン」っていったよ
母に背負われてやってきたお寺
行き場のない者たち
ここで暮らし始めた
約一年生活した
他人のつらさ
図ることができない
しかし、自分のつらさも言えばいいのよ
さらけだして
私はこんなことに興味を持っています、、、というようにね
手紙
引き続きかきます
生き残ったことに罪悪感
母と朝食を食べた後
びか================と
気が付くと針や壁が崩れ落ちていた
がれきが、、、、
かあさ========================ん
がれきをかき分けたが見つからない
早く逃げなさい
「母さんを探してます」
警防団の人が「逃げなさい」
3日後5歳上の姉を探してくれた
母さんの骨はみつかったの
家のそばの蒲鉾屋の前で、、、、
焼け焦げてた
だが、生きていた
ぼくを探していた
そして、焼け死んだ
懺悔の気持ちで、、、、涙が、、、、あふれる
じぶんだけ
生き残るというのは、、、、
うれしい?
かなしい?