撤回だけでは済まされない。日本国憲法改正にかかわる麻生氏「ナチス」発言 - Yahoo!ニュース「個人」(8月2日)
発言の撤回は当然であるが、7月29日の発言は、「あの手口学んだらどうか」としてナチスに言及しているのであり、どうみても、「悪しき例」として取り上げた趣旨でないことは明らかで、自分の発言をねじ曲げているものと言わざるを得ない。
麻生氏お得意の「失言」と擁護する人もいるようで驚くが、会合の性格からして、これは、ぽろりと発言したものではない。心にもないことを言った、とも思えない。
取り方で如何とでもとれる発言
何故その時に、深く追及しないのか
悪い例を取り上げて、あの手口をどう学ぶのか
深く聞くべきであろう

私は思う
ただ、重箱の隅的ジャーナリズムに反する記事であるのだ
待ってましたとばかりに攻撃する政治家、中国、マスコミ、新聞社
共産、その他、よ~~~~くどの立場にいるのか
わかりました
発言をどう読み解く
小田嶋隆(コラムニスト)
麻生さんの「真意」のゆくえ - 日経ビジネスオンライン(8月2日)
麻生さんを擁護する人々は、麻生さんの「真意」が、憲法について「静かに」話し合うこと、すなわち「熟議」にある旨を強調している。彼らによれば、ナチス云々は、あくまでも「悪い例」として挙げたたとえ話に過ぎない。とすれば、麻生発言を問題視している記事の方こそが、むしろためにする立論に沿って書かれた謀略記事なのであって、原点に立ち返って言うなら、その種の揚げ足取りジャーナリズムを排した「静かな」言論状況を求めるところにこそ、麻生さんの真意はあるはずだ……ぐらいな話になる。
一方、麻生発言を問題視する人たちは、麻生さんが「ナチスからその手口を学び取るべきだ」と言ったことをあくまでも重視する。そして、この点に注目すれば、当日の講演に底流する麻生さんの「真意」が、「国民の知らないうちに」「静かに」憲法改正を遂行するところにあることは明らかだと言うわけだ。
かように、キーワードである「静けさ」についての解釈にしてからが、まったく逆になっている。
片や「熟議」だと言い、片や「だまし討ち」ぐらいのニュアンスに受け取っている。