硫黄島(いおうとう)は生きるヒント kuribayasitilyuujilyou | サファイアのブログ

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硫黄島(いおうとう)と読んでください

東京都小笠原村硫黄島

東京都から南に約1200キロの地点

太平洋上の島である


東西約8キロ  南北約4キロの小さい島


昭和20年2月16日~3月26日までの間
日本軍と米軍の間で戦闘が行われた

火山性の島
地殻を調べると一直線に富士山の真下につながる島


ガスの発生で地下壕は60度~70度ほどの暑さである


この過酷な島で何があったか
想像を絶する戦いを思い出させるように弾丸のあとがあちこちに見える


日本軍の戦死者 約2万100人
生き残った捕虜約1000人


米軍の戦死者約6000人
戦傷者   2万1900人


米軍の戦死者は、全員収容されている

日本軍の将兵の遺骨は約半数の柱がまだ硫黄島に残っておられる
(すでに麻生政権下で1億の予算を持って少しずつ進んでいるようです)


戦後70年以上も経ってまだ英霊の方は硫黄島であの島を守っておられる
関係者以外立ち入ることのできない硫黄島



           高松宮殿下が硫黄島へ行かれた時のこと

戦後43年まで米国の管理下に合った為、殿下の訪問時はまだ未整理の洞窟があり
遺骨はそのまま散乱していたという

殿下がまずお尋ねになったのは、 米軍の火炎放射器でやられブルドーザーで
生き埋めにされかけ(実際生き埋めもあります)苦るしみながら、もがきながら

脱出を試みた兵隊たちが折れ重なってしんだ跡地だった



まえ持っての説明もなしで洞窟の前へ立たれた殿下は、 ハッと息をのむ気配をお見せになり、やがて地べたに正座し、両手をついて 首を垂れ 瞑想状態に入られました


一言もおっしゃらないから何を念じているのか
祈っているのか
わからないけど、随行のものみな、電気に打たれたような気分だったと聞いております

大分長い時間そうしていらしてやッと立ち上がられたのです


                 日本が大好きなブログから抜粋


自衛隊のサイトで少し読んだ不思議な話


硫黄島に仕事で行かれてる自衛隊の人々なので嘘ではないと思います
ベットで眠っていると、突然下から突き上げられた話
ふと、夜目が覚めて外へ歩き始めた自衛官が突然倒れたところに遺骨があった

持ち出し禁止の硫黄島ですが、内緒で石ころを持ち出した自衛官が心臓発作で
急死した

飛行機の中で2人だけの機内に「やっとこれで帰ることができる」と
声が聞こえた、飛び立つときなんだか重たいと感じた機体には英霊が載っていた

建物の外で夜中に軍隊の行進が聞こえる


お昼など、食堂のテーブルの横に将校が立っているこれはいつもだそうです


などなど、一人や二人の経験ではないそうなので実際まだ、英霊たちは
この島を守っているのだと実感しますよね


栗林中将に置かれても、全く同じなのだと感じます
硫黄島の自分の部下が一人残らず本土に帰るまで栗林様も本土(日本国)に帰ることは無いでしょう

栗林中将 自決 されたのか はたまた砲撃にやられて、、、***  


真実はわからないそうです

しかし、どんな事態であろうと英霊をオトシメル言動はするべきでないことは
明らかであり、やりたくありません

           実際、硫黄島へ行ってみたい一人ですが
           現実に無理です

           みなみに向かって「お水」を捧げることしかできませんが
           お祈りいたします



            はやく 早く  北に向かって

            帰ってきてください