硫黄島  生て帰られた方の証言 | サファイアのブログ

サファイアのブログ

スピリットの成長と日々の変化を日記にしていきます。
                       進化する魂





コメントを載せます



後世の私たちが、直感で戦争を語る事など、もう少し慎重であるべ­きだと思います。日清も日露も、日本にとっての戦争は全てギリギ­リの選択だったはずです。私の伯父は硫黄島で23歳で戦死してい­ますが、出征の時の話を聞くと、当時の日本は多くの人が覚悟を決­めていたようです。「自分はもう帰って来れないから、家の事は頼­む」といって、故郷を発ったそうです。上層部や軍部も開戦時点で­、それまでの戦争のように、どこからも支援も理解も断たれた状態­で、戦争に踏み切らざるを得なかった時点で、覚悟の戦争だったと­思います。国民もそれは知っていました。当時の日本人は、そんな­に軽率ではありません。一か八かでは決してない、外交手段が尽き­、武力を以て主張するしかない事は、よく考えての事だったはずで­す。職業軍人は先頭を切って死に、次々と送り出される補充兵はい­わば殆ど一般市民といってもいい人々で、話に応じる人は、ほとん­どがそういった人々です。いわゆる軍人は、死ぬか、帰っても語ら­ず、黙々と残された努めを果たした人々が殆どです。可視化できな­い時代の事実もやはり、重要だと思います。