滋賀・青木悠君リンチ殺人
http://yabusaka.moo.jp/outu01.htm
(一部抜粋)
2001年3月31日、青木君が待ち合わせの場所に行くと、AとB、そして彼らの取り巻きの3人の少年がいた。
全員、青木君とは別の中学出身の共通の友達がいる程度の関係であった。
少年達は「青木、お前、何で全日制行くん?定時制におりいや」と言って青木君を校庭裏にる給食搬入口のコンクリート台のところに連れていった。
その場で青木君に対する凄惨なリンチが始まる。
「障害者のくせに生意気だ」と最初から青木君をリンチする目的で誘い出していたのだ。
顔、頭、足、腹・・・をところかまわず無抵抗の青木君を70回以上殴った。
青木君の顎ははずれ、顔はたちまち原型をとどめないほど腫れあがる。
意識を失いかけた青木君をAとBの2人は高さ60cmほどもあるコンクリート台から、プロレス技のバックドロップで頭から地面に叩きつけた。
さらに別の場所に移動し、2回バックドロップを繰り返した。
失禁して泡をふいた青木君をさらに1mほどの高さからコンクリートに頭を打ちつけた。
「障害者やから助ける価値がない」
「こいつは障害者だからすぐたぬき寝入りをするんだ。小便まで漏らしやがって」
「プールに放りこんで目を覚まさせよう」
そう言って、彼らは実際に青木君に水をぶっかけている。
暴行は1時間半も続いた。
これはやられている方にとっては恐ろしく長い時間である。
途中で取り巻きの少年の1人が「このままでは死んでしまう」と救急車を呼ぼうとするが、AとBは「そんなことしたらパクられるやろうが」と怒鳴りつけ、青木君を物陰に放り投げて、そのままパチンコに行った。

被害者の母
息子は少年法改正の前日に17歳と15歳の加害者に2時間あまりのむごい暴行を受け脳死状態になり、5日間、意識不明続きました。
亡くなる前の日、お医者様の判断で個室に移された日、私は枕元で『助けてあげられなくてごめんね』と話しかけると、息子は何も言わずただ涙を流しました。

民主党・平岡秀夫ネクスト法相(日テレ「太田光の私が総理大臣になったら~秘書田中」)2007年6月29日放送当時)→その後、2011年9月に本当に法相に就任!
加害者の人に死の恐怖を味わわせるという気持ちで遺族が本当に幸せになるというか、納得されるとは思わない。
むしろ、悪いことをした子どもたちは【それなりの事情があって】、そういうことになったと思う。
